『イノセンツ』の個人的な感想・考察

 『イノセンツ』の個人的な感想・考察


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①『イノセンツ』(2021年・ノルウェーほか・監督:エスキル・フォクト)

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② あらすじ(起承転結・ネタバレあり)


【起】


夏休み、イーダは家族とともに新しい団地へ引っ越してくる。彼女には自閉症の姉アナがいる。両親はどうしてもアナへの対応に多くの時間を割くことになり、イーダは姉に苛立ちを抱えていた。意地悪をすることもあるが、それは単純に性格が悪いというより、「なぜ自分ばかり我慢しなければならないのか」という、子供らしい整理しきれない感情に見える。


団地でイーダはベンという少年と知り合う。ベンには小石を動かす程度の念力があった。一方、アナはアイシャという少女と出会う。アイシャには他人の心へ触れるような能力があり、普段は意思疎通が難しいアナとも精神的につながることができた。


やがて四人の子供たちは、それぞれの力を通じて自分たちだけの遊びを始める。最初はただの好奇心だった。誰にも知られていない秘密の遊び。その程度だった。


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【承】


しかし、能力は少しずつ強くなっていく。物を動かす。遠く離れた相手を感じる。心へ触れる。最初は面白かったものが、次第に感情そのものと直結し始める。


中でも危うかったのがベンだった。家庭環境は安定しているようには見えず、十分に見守られている様子もない。孤独、苛立ち、承認欲求。そこへ、自分だけが持つ強い力が加わる。「自分にはこれができる」という感覚は、やがて優越感や支配欲へ変わっていく。


普通の子供なら、怒って物を投げる、喧嘩する、意地悪をする程度で終わるかもしれない。しかしベンには、人を傷つけ、場合によっては殺せるほどの力がある。子供として普通にあり得る未熟な感情が、取り返しのつかない結果へ直結してしまう。


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【転】


ベンの暴走は止まらず、アイシャも犠牲になる。子供たちだけの世界で始まった遊びは、いつの間にか本当の殺し合いに近いものへ変わっていた。


しかし、大人たちは何が起きているのかわからない。超能力も、精神的なつながりも、子供たちの間で何が起きているのかも理解できない。だから、この問題を止められるのも子供たちしかいない。


イーダとアナはベンを止めるために動く。


この終盤がとても良い。超能力を派手なエフェクトでは見せない。光も出ない。波動も見えない。遠くから見れば、子供たちが静かに座っているだけ。しかし、その間では凄まじい力のぶつかり合いが起きている。木々が揺れ、水が動き、周囲の物だけが異変を示す。


そして最後には、アナとイーダがベンを上回り、彼の命を止める。


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【結】


ベンの暴走は終わる。


でも、「悪を倒した」という爽快感はない。


イーダもアナも、正義感でベンを殺したわけではない。もう止めるしかなかった。それだけだった。自分たちの世界で起きた問題を、自分たちで終わらせた。しかし、その方法が正しかったのかはわからない。


人が死んだ。アイシャも死んだ。ベンも死んだ。そして自分たちも、取り返しのつかないことをした。


戦いのあと、イーダは母親へ泣きながら抱きつく。


ここで改めて思う。


彼女はまだ子供だった。


自分たちだけで問題を解決した。でも、その重さまで子供だけで背負えるわけではない。


一方のアナも、物語の最初とは変わっている。アイシャを失ったあとも、自分の意思でイーダを守り、ベンを止めた。姉妹の間にも、以前にはなかったつながりが生まれている。


子供たちだけの秘密の夏は終わる。


しかし、その中で本当に何が起きたのかを知っているのも、結局は子供たちだけだった。

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③ 考察・感想・まとめ


『イノセンツ』。


初見。


これはかなり良かった。


まず、画面全体からずっと不安が出ている。何かが起こりそう。誰かがおかしくなりそう。でも、何がどう危険なのかは完全には見えない。その緊張感が最後まで続く。


超能力を扱っているのに、その力を視覚的なエフェクトでほとんど見せなかったのも非常に良かった。光らない。オーラも出ない。念力の波動も見えない。動くのは木や水や土、人の身体や周囲の物だけ。つまり、「力そのもの」ではなく「力が起こした結果」しか見せない。


そのため一見すると、何が起きているのか説明がつかない。この見えなさが、そのままホラーになっている。


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この作品を見ていて強く思い出したのが、大友克洋の『童夢』だった。実際、童夢にインスパイアされた作品らしい。


単に「子供が超能力を使う」という程度ではない。特に終盤の構図はかなり近い。


『童夢』では、大規模な超能力戦のあと、ベンチに座るチョウさんと、ブランコに座る悦子の間で静かな最後の力比べが起きる。見た目にはほとんど何も起きていない。しかし、その場では猛烈な力がぶつかっている。周囲の子供たちは事情までは理解していない。それでも、何かが起きていることだけは感じ取っている。


そしてチョウさんは敗れ、悦子は姿を消す。周囲の子供たちは、また遊びへ戻っていく。


『イノセンツ』の終盤は、この場面をかなり強く想起させる。オマージュと呼んでもいいくらい近い。


ただし、作品の中身はかなり違う。


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『童夢』のチョウさんは、やっていることだけ見れば明確に恐ろしい。しかし彼は、認知症によって幼児退行した老人でもある。


身体は大人。精神は子供。そして強大な超能力を持っている。


そのため、「悪いことをしたから倒されて当然」と簡単には割り切れない。本人がどこまで善悪を理解しているのか、どこまで責任を問えるのか。その答えが出ない。


そこに『童夢』独特の怖さと、ものすごく行き場のない後味がある。


一方、『イノセンツ』は全員が本当の子供。


ここが決定的に違う。


ベンも最初から邪悪な少年ではない。孤独、承認欲求、嫉妬、怒り、優越感。どれも子供なら持っていて不思議ではない感情だ。ただ、それを制御する力がまだ育っていない。


そこへ人を殺せるほどの超能力だけが与えられてしまった。


だから怖い。


悪人が力を持ったのではない。


未成熟な子供が、感情を制御できるようになる前に、強すぎる力を持ってしまった。


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イーダも同じ。


序盤ではアナにかなり意地悪をする。自閉症の姉に苛立ち、自分ばかり我慢しているように感じている。


でも、それを単純に「嫌な子」とは描いていない。


大人なら、「障害のある姉なのだから理解してあげよう」と言えるかもしれない。でも、子供にそこまで求めるのは酷でもある。


「どうして私ばかり」


そう思っても不思議ではない。


つまり、この映画の子供たちは善でも悪でもない。まだ善悪そのものを学んでいる途中にいる。


そこで思い出したのが、「無邪気」という言葉だった。


邪気が無い。


そして昔の言葉遊びのように「無邪鬼」と書くと、妙にこの作品に合う。


邪さのない鬼。


子供という存在には、まさにそういうところがある。


残酷なこともする。嘘もつく。意地悪もする。人を傷つける。でも、それは大人の悪意とは違う。結果の重さを完全には理解していない。


無垢であることと、危険であることは両立する。


邦題の『イノセンツ』は、その意味で非常にしっくりくる。


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この映画では、子供たちの家庭もそれぞれ何かを抱えている。


イーダの家庭にはアナのケアがある。ベンはかなり放置されているように見える。アイシャの家庭にも余裕があるとは言い難い。


誰か一人を「悪い親」と断罪するような映画ではない。ただ、大人たち自身にもそれぞれ事情があり、子供の心の奥へ十分に届いていない。


その隙間に、子供たちだけの社会ができる。


超能力を知っているのは子供だけ。何が起きているのか理解しているのも子供だけ。そこで作られた関係も、争いも、大人にはわからない。


だから最後は、子供たちだけで解決するしかない。


でも、それは勧善懲悪ではない。


ベンを止める必要はあった。しかし、殺すことが正しかったのかは誰にもわからない。イーダ自身も、正しかったと思っているようには見えない。


だから戦いが終わったあと、母親へ泣いて抱きつく。


あそこが本当に良い。


大人の世界から隔絶された場所で、自分たちだけで問題を解決した。人の生死まで背負った。でも、それで大人になったわけではない。


怖かった。悲しかった。どうしていいかわからない。


だからママへ抱きつく。


結局、まだ子供なんだよね。


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そしてアナ。


彼女は最初、外の世界とほとんどつながれない存在に見える。アイシャとの精神的なつながりによって、初めて他者と強く結びついていく。


しかし、アイシャが死んだあともアナは動く。


イーダを守る。


ベンを止める。


もう、アイシャがいなければ何もできないアナではない。


自閉症だから純粋、という単純な話ではない。ただ、この四人の中でアナは、最も力を自分の欲望のために使わなかったように見える。


支配したいわけでもない。優越感を得たいわけでもない。誰かを傷つけたいわけでもない。


最後には、守るために力を使う。


もしかすると彼女が一番、この作品のタイトルである「イノセント」に近かったのかもしれない。


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『童夢』と『イノセンツ』。


かなり似ている。


特に終盤の静かな力比べは、明確に『童夢』を思わせる。


でも、パクリでも劣化でもない。


『童夢』が持っていた「幼い精神と強大な力」という恐怖を、本当の子供たちの心理劇へ置き換えた。そして超能力そのものを見せず、表情、視線、音、木、水、土、空間だけで表現した。


だから同じ構造を持ちながら、全く違う作品になっている。


『童夢』のような大規模な超能力アクションへは振らない。強いサスペンスへも振らない。純粋に、子供たちの心へ焦点を当てる。


その判断が、『イノセンツ』という作品を独立させた。


画面全体から漂う不安。団地という閉ざされた空間。大人から隔絶された子供たちの社会。見えない超能力。制御できない感情。無垢と残酷さ。成長と喪失。


全部が静かにつながっている。


『童夢』と似ている。


オマージュと呼べる。


でも、立派に独立した一個の作品として完成している。


『イノセンツ』。


『童夢』を思わせながら、それを独自の子供心理と静かな恐怖へ置き換えた、見事な一作だった。


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