10 残り9人/アサシン

 

『Fバン!!』

著:木耳 骨

全24話で完結するオリジナルスポーツアクション小説です。

▶ 本編全24話・目次はこちら

[『Fバン!!』ハブ投稿]



 10 残り9人/アサシン

 

森の奥へ十分な距離を取ってから、周斗はようやく走る速度を落とした。

さっきまで背後にあった廃墟は、もう木々に遮られて見えない。念のためさらに少し進み、地形の窪みと太い幹が重なる場所を選んで足を止める。

愛理も数歩遅れて追いつくと、膝に手をつき、大きく息を吐いた。

「はぁ……はぁ……もう、今日だけで何回全力疾走してるんですかぁ……」

「まったくだな、FIELDって大変なんだな」

周斗も呼吸を整えながら、来た方向を見る。

追ってくる気配はない。

けれど、すぐに安心する気にもなれなかった。

あの男。

オールド――及川良。

実際に対峙した時間は、ほんのわずかだった。

それでも十分だった。

「危なかった……。あれがオールド――及川さんか。噂以上の強さだな」

愛理も表情を引き締める。

「でも、どうして追撃してこなかったのでしょう?」

「……そこだよな」

周斗は、廃墟から逃げる直前の光景を思い返した。

二階。

窓。

こちらを狙って伸びた指。照準そのものは合っていた。撃つ意思もあったように見えた。

それなのに――及川は、撃たなかった。

「おまえの牽制が効いてたのは確かだと思う。あそこで一発撃たせたから、一瞬身を隠させることはできた」

「一発も当たりませんでしたけど……」

「当てる必要はなかった。こっちが逃げる時間を作れたんだから十分だ」

愛理は少しだけ嬉しそうに口元を緩めた。

周斗は続ける。

「ただ、そのあとだ。俺たちが走り始めてからも、及川さんなら撃とうと思えば撃てたはず……」

「やっぱり……減衰?」

「かもな」

周斗は断定はしなかった。

可能性としては高い。二十二歳。Fバンの世界では、どうしても付きまとう年齢だ。

十代後半を頂点として、二十代に入れば少しずつ落ちていく。

射程。

出力。

集中速度。

人によって落ち方は違う。

だからこそ、今の及川がどの程度なのかは、実際に見ただけでは判断しきれない。

「けど、そこに期待はできねぇ」

「ですよねぇ……」

「どれだけ減衰してるかわからない。仮に射程が少し落ちてたとしても、さっきの二人を見ただろ。近中距離じゃ普通に化け物だ。両手で撃てる、速い、正確、動きも読めてる。減衰してるから勝てる、なんて考えた瞬間に終わるな」

愛理も、あの場面を思い出しているようだった。

バースターとトラッカー。

二人とも決して弱い選手ではなかった。

だがそれをオールドは、ほとんど流れ作業のように削っていった。

相手を止める。

足を奪う。

そこから確実に仕留める。

順序がある。判断がある。経験がある。

単純に“全部強い”だけではない。

持っている能力を、高い精度で組み立て、経験で確実に勝ちへつなげている。

周斗は小さく息を吐く。

「少なくとも、俺が今まで当たった中じゃ一番面倒だな」

「わぁ……周斗さんが面倒って言うと、すごく面倒そうです」

「なんだその感想」

そこで愛理が、ふと思い出したように周斗の足元を見る。

「それより周斗さん」

「ん?」

「足、大丈夫なんですか?」

「うん??」

「二階から飛びましたよ!?しかも私を抱えたまま!」

「あぁ、そのことか」

周斗は軽く足首を回した。

着地時の衝撃は残っている。

だが関節に嫌な痛みはない。走るのにも支障はない。想定の範囲内だった。

「スタントの練習で、高いところからの着地はやってるんだよ。もちろん普通に飛び降りるわけじゃない。低い高さから、姿勢とか受け身とか、段階踏んでな」

「でも、あれ、足からブワッて出すやつも使ってましたよね?」

「だからその練習もしてた」

愛理が目を丸くする。

周斗は少し得意げに説明する。

「将来、バンの力がなくなったら、拡散放出を使った跳躍や着地なんて二度とできなくなるだろ?」

「まぁ……そうですね」

「だったら使える今のうちに、普通じゃ経験できない身体感覚を覚えときたいじゃん。俺、アクションスタントマン志望だから」

それは周斗にとって、Fバンを始めた理由の一つでもあった。

競技者として頂点へ行くためだけではない。

むしろ彼が見ている先には、Fバンが消えたあとの人生がある。

指先へパルスを集中する才能には恵まれなかった。

けれど、その代わりに手にした妙な身体感覚を、将来の仕事へ持っていくことはできる。

JETの推進。

空中で重心が変わる瞬間。

通常ではありえない方向から身体へ加わる力。

それを受け止め、制御し、着地へつなげる。

Fバンが消えても、そこで培った身体操作まで消えるわけではない。

「だから体幹と空中姿勢制御の練習として、低いとこからウェイトバッグを身体に付けて着地する練習もしてたんだよ」

「へぇええ……」

愛理は素直に感心している。

「すごいことするんですね、スタントマンって」

「まぁまだ志望者だけどな。今は学業優先」

愛理が真顔になって核心を突く。

「……学業、優先できてるんですか??」

「いや……ちょっと、そこは自分でも自信ない」

周斗は苦い顔で、FIELDへきてから遠くに感じる日常を思い出す。

大学には行ってる。が――思い起こせばほとんどトレーニングとアルバイトの日々だった。

「ん……でも、どれくらいの重さで練習してたんです?」

「ん?三十キロのウェイトバッグ二つ、身体に固定して」

「へぇえええ――」

愛理の顔が止まる。

それを見て周斗も止まる。

思考に巡らせること、実に数秒。そして愛理の目が大きく見開かれた。

「って、それ六十キロじゃないですか!!」

森に声が響く。

「声がでけぇ!!」

「私がそんなに体重あるとでも思ったんですか!?」

「思ってはねぇよ!」

「じゃあなんであんな必死に聞いたんですか!」

「安全確認だっつってんだろ!見た目だけで何キロとか正確にわかるわけねぇだろ!スタントは安全第一なんだよ!」

「肩車したじゃないですか!」

「したな!」

「そのとき『重くはなかった』って言いました!」

「重くはねぇよ!ふつーに軽いって!子供と変わらん!」

「今度は子供扱いですか!」

愛理が頬を膨らませる。

周斗は頭を抱えた。どう答えても怒られる気がする。

「じゃあなんて言えば正解なんだよ……」

「そこを考えるのが大人でしょう!」

「その理屈、肩車のときも聞いた気がするぞ」

二人の声が、しばらく森の中へ小さく響いた。

 

◇

 

同じ頃。

少し離れた別の区画。

一人のプレイヤーが、低い岩陰から遠方の戦闘を眺めていた。

といっても、見えるのは木々の向こうで断続的に動く人影と、時折聞こえてくる発射音だけだ。

それでも男は満足そうだった。

自分が戦う必要はない。

誰かが誰かを倒してくれる。

自分は安全な場所に隠れて、人数が減るのを待てばいい。

FIELDでは珍しくもない考え方だった。

一般に、"潜伏型"と呼ばれるそのスタイルは徹底している。

――生き残ればいい。

最後に六人へ残ればいい。

そのために隠れる。待つ。それも立派な戦術の一つではある。

男は口元を歪める。

「へへっ……撃ち合ってる撃ち合ってる」

遠くでまた数発、射撃音が響く。

「せいぜい減らしてくれよぉ。俺を安全に、確実にFINALへ進ませろぉ」

そのときだった――

背後から声がした。

「そう簡単にはいかないんだよなぁ、FIELDってやつはよぉ……」

男の笑みが消える。

「――誰だ!!」

振り向く。しかし誰もいない。

木――岩――茂み――

――そして静寂。

男はしっかりと指を構え、さらに周囲へ視線を走らせる。

右――いない。左――いない。

前――後ろ。

――次の瞬間。

「BangBangBangBang!!」

ほとんど重なって聞こえた。

一方向ではない。

右から――

左から――

複数の発射だ。

男がどちらを向くべきか判断するより早く、競技ウェアのセンサーが立て続けに反応する。

腕。

胴。

脚。

また胴――さらに腕。

「うわっ――ちょ、待っ――!」

ザックで胴を覆ってはいたが、腕と脚に次々と当たり、ポイント表示が一気に削られていく。

撃ち返そうとしても、照準を合わせる前に別方向から次が来る。

一発の精密さで仕留める戦いではない。

射線を重ねる。

逃げる方向を塞ぐ。

相手が向きを変えた先へ、次の弾幕を置く。

そして――

脚――《2》

腕――赤い《1》――

次の瞬間。

《RETIRED》

「あぁっ……クソぉ!!」

男がその場へ座り込む。

そして左右の物陰から、二人の選手が姿を現した。

"真中"こと真中鉄矢。

"虎トラッカー"こと丸山小虎。

真中は片手を軽く振りながら、悪びれもせず笑った。

「悪いな。待ってるだけじゃ、なかなか減らねぇからさ」

小虎もふんっと鼻を鳴らし、指を下ろす。

彼の本職はTRACK。

だが単発しか撃てないわけではない。真中ほどではないにせよ、十分な速射ができる。

そして真中のBURSTと組み合わさると、その圧力は一気に跳ね上がる。

一人が逃げ道を潰し、一人が面で押す。

二方向。

二つのリズム。

どちらか一方へ対処すれば、もう片方が刺さる。

この二人が最初から組んでいた理由が、ようやく形になって現れた。

 

◇

 

スタジオ。

巨大モニターへ映し出された戦闘を見て、司会者が中央ステージを走り回る。

『おっとォオオオ!!やっと姿を現したぞ真中ァアアア!!』

客席も司会者と同じように沸く。

『今までどこに潜んでいたんだァ!?ずーっと画面から消えてたと思ったら、虎トラッカーとセットでこんなところにいたヨ!!』

実況席からも興奮気味の声が飛ぶ。

『それにしてもこの二人のBURSTは凄まじい迫力ですね!』

司会者が大きく両腕を広げ、さらに煽る。

『真中のBURST!!そこへ虎トラッカーの速射が混ざる!!二方向からマシンガンみたいに降ってくるヨォ!!』

巨大モニターには、先ほどの戦闘が別角度で繰り返されていた。

真中が正面へ圧をかける。

小虎が少し横へずれ、逃げる先へ先回りして撃つ。

撃たれた側は、どちらを見ても指が向いている。

客席からは感嘆の声が上がる。

視聴者コメントも、彼らへの評価は高い。

《やっぱ虎トラッカーすげぇな》

《真中も速い》

《虎トラッカーの真価はまだこれから》

《そういや、なんで真中は二つ名"真中"なんだ?》

《真中は真中だろ》

司会者も満足そうに頷いた。

『これで――残り十一人!!』

しかし、巨大モニター――

《REMAIN 9》

それを見た司会者が、そのまま固まる。

客席もぴたりと静かになる。

そして――

『……あれ?』

司会者はモニターを二度見した。

『なんか人数が合わないゾォ!?』

客席から笑いが漏れる。だが、確かに妙なことだった。客席は騒ぐでもなく、解説を待つ。

実況席からはわかりきったコメントしかない。

『九人です』

『見りゃわかるヨ!!なんで二人減ってんの!?』

客席がまた笑う。

司会者は慌ててモニターへ駆け寄った。

『みんなぁ!!ログ確認だぁ!!』

 

視聴者側でも、同じ現象が起きていた。

テレビ――スマートフォン――タブレット――3D映像――公式アプリ。

各自が好きな方法で、少し前の時間まで映像を巻き戻していく。

まず見つかったのは、及川が二人のプレイヤーを追い、周斗と愛理が廃墟から逃げた時間帯だった。

画面の隅。

別の場所。

一人の選手のポイント表示が突然ゼロになる。

《RETIRED》

だが、通常カメラには何も映っていない。

射撃者――ごくわずかに響く。

発射の瞬間――なし。

3D映像へ切り替える。

そこで初めて、森の間を走る一本の光が見えた。

いや―― 一本ですらない。

始点も、終点もない。パルス軌道の途中だけ。

発射地点は、映像上では欠けている。

そして次は、真中と小虎が戦っていたほぼ同じ時間。

別区画で、もう一人。

《RETIRED》

こちらも同じだった。

選手は倒れている。

だが撃った者がいない。

スタジオの司会者が首を傾げる。

『ンン~!?こりゃあ潜伏型だネ!!一体どいつがヤッたんだぁ!?』

視聴者たちも一気に騒ぎ始める。

《もう結構絞れてるよな》

《残ってるの有名どころ多くね?》

《ボーイスカウトと24番じゃないだろ?》

《真中と虎トラッカーでもない》

《オールドは別の場所いたし》

《じゃあ誰だよ》

そこへ、ある視聴者が疑問を投げる。

《なんで3D映像で見えねぇんだ?バンが映ってるなら射線から撃った奴の位置もわかるだろ》

そのコメントを見ていた、ある一人の少年が、眼鏡を押し上げた。

画面の向こうの相手へ説明する必要などないのに、なぜか少し得意げな顔になる。

「違うんだよなぁ」

隣にいた友人が振り向く。

「何が?」

少年は手元のPC画面で公式3D映像を拡大する。

「パルスセンサーが取ってるのは、あくまでパルスの反応と軌道。撃った人間のIDが、そのまま射撃ログに自動でくっついてるわけじゃないんだよ」

「そうなの?」

「そう。パルス反応から個人を識別することは現代でもまだできてないからね。発射した瞬間をカメラかモーション側で拾って、選手の動きとパルスを照合して初めて『こいつが撃った』って確定できる」

少年は画面の一部を指差した。

「しかもここ、森林だろ。木とか地形でセンサーが遮られると、軌道が全部取れないこともある。ほら、ここ途中からしか映ってない」

「じゃあ撃った場所わかんないじゃん」

「完全にはね。だから撃った側と撃たれた側、双方の主観カメラに映っている、それが一番確実で正確な情報になる」

「なにそれ欠陥じゃん」

「いや、普通はそんな困らないんだよ。たいてい撃つとき選手本人も映ってるから」

少年は少し笑う。

「逆に言えば……そこを狙ってる奴がいるなら、かなり上手い」

「撃った直後に移動してるとか?」

「たぶん。発射した場所と、次にモーションで拾われる場所をずらしてるんじゃないかな。だから主観カメラにさえまともな映像が残らない」

友人の顔が引きつる。

「……それってもう、アサシンじゃん」

「うん」

「やっぱアサシンじゃん!」

同時に、その言葉がネット上でも一気に広がる。

《アサシン》

《誰だよ》

《潜伏型いるぞ》

《姿見せずに二人落としてんの怖すぎ》

《海外勢じゃね?》

《いや今回日本人だけだろ》

そのとき、別の視聴者が一本の動画を見つけた。

「なぁ、これ見てくれよ」

スマートフォンの画面。

日本の大会ではない。

海外の小規模なFIELD。

大手リーグではなく、現地団体が主催するインディーズ大会だ。

その荒い映像の中――

まだ幼さの残る細身の少年が、建物の陰から一瞬だけ姿を見せる。

撃つ――消える。

別の場所。

撃つ――また消える。

正面から撃ち合う場面が、ほとんどない。

「藤沢……純?」

「検索した。海外じゃ結構有名みたいだぞ」

画面をスクロールする。

英語記事。

大会記録。

ファン動画。

そこにある海外での二つ名。

――"SAMURAI ASSASSIN"。

「サムライアサシン……?」

「あれ?」

一人が現在の出場者一覧を開く。

「こいつ今回出てなかったか!?」

一覧。そこに並ぶ顔写真と基本情報。

年齢。

十六歳。

――藤沢純。

二人、目を見合わせて固まる。

そして――

「藤沢純だ!」

「こいつがアサシンだ!!」

ネット上へ名前が一気に拡散していく。

だが、当の本人はまだ現在のFIELD映像へまともに姿を見せていない。

顔を探そうとカメラを切り替えても、その姿がない。

3Dアバターを追おうとしても、まとまった射撃ログがない。

すでに二人を落としている。

なのに――

見えない。

その不気味さが、かえって藤沢純という名前を強く印象づけていった。

 

◇

 

地下にある小さなアイドルグループの控室でも、FIELD中継は流れ続けていた。

ただし、こちらではアサシンの正体よりも先に別の問題が蒸し返されている。

モニター。

先ほどの廃墟。周斗が愛理を抱えて二階から飛び降りる場面だ。

「んなことより!!」

一人が立ち上がる。

「なんなん、お姫様抱っこって!!」

「顔近っ!!」

「近い近い近い!!」

「ラブコメしてんじゃねーよ!!」

「バーカ! バーカ!」

画面へ向けて容赦のない罵声が飛ぶ。

パイプ椅子に座っていたマネージャーは、額へ手を当てた。

「もぉ~……そういうことばっかり言うから人気出ないんだよぉ……」

「いやでもジャーマネ!これ見てくださいよ!」

「それね!競技中だから!本人たち真剣だから!」

「顔めっちゃくっついてるじゃないですか!」

「落としたら危ないからでしょ!味方がボーイスカウトで良かったよ!」

「そこはわかってますよ!」

「じゃあなんでそんなに怒ってるのさぁ」

メンバーたちは全員、一斉に黙り込む。そして全員が同時に、まるで申し合わせしていたみたいに答えた。

「……なんとなく」

マネージャーは深くため息をつく。

愛理は、グループの中で少し浮いている。

けれど――

どうやら、その原因がすべて愛理にあるわけではなさそうだった。

 

◇

 

FIELD。

二日目の森にも、再び暗闇が降りはじめていた。

結局、周斗と愛理は廃墟へ戻らなかった。

あのオールドがそこを使っている可能性が高い以上、近づく理由がない。

だから今夜も森で野宿だ。

スナイパー玲二たちから回収した寝袋があるだけ、昨夜よりはずっとましだった。

少し離れた場所では、及川が廃墟の二階から森を見ている。

窓枠へ寄りかかるでもなく、壁の陰へ身を置き、外だけを覗く。

静かだった。

 

そして森の奥――

「ここは良いな」

昨夜とは別の場所、斜面の下、前面は背の低い木々が密集している。

狭いがかなり拠点としては良さそうだ。

ここを一つの候補にして、まだ少し日があるうちにもう一箇所拠点になる場所を探す。

さっきの場所からそれほど遠くはないところに、似通った場所があった。

今夜はこちらを拠点にする。辺りはもう、真っ暗だ。

 

暗闇の中の食事は、昼間以上に味気がない。

食事とは、単に美味しい料理があればいいというわけではない。

どんなに高級な料理でも、紙皿で、薄暗いところで、一人で食べても、本来の美味しさは感じにくい。

美味しい食事には環境、そしてそれを共有する人間が必要なのだ。

その点、二人は互いに相手がいるだけ相当にマシである。

 

行動食をかじりながら、ふと、愛理が話しかけてきた。

「周斗さん、なにか話してください」

「なんだ?メリケン映画の子供か?」

「……ちょっと、なに言ってるかわからないです」

愛理は眉をひそめ、不思議そうな顔をして小首をかしげる。

周斗が連想したのは、アメリカ映画でよく見る、夜、子供を寝かしつけるときに親がベッド脇で話を聞かせるシーンだ。

日本では、あまりない慣習だからか、愛理にはピンとこなかったようだ。

完全に滑った周斗は、はぐらかすように会話を続ける。

「いや、なんでもない……話って、どんな?」

「スタントマンのお仕事は、いつから目指していたんですか?」

予想してなかったプライベートな話題だ。これまで、そうした話はお互いほとんどしてこなかった。

周斗は行動食を一口かじり、空を見上げた。

木々の隙間からは雲のない夜空が広がっている。

「俺は……中途半端なやつなんだよ」

「中途半端?」

まさか、そんなことある?と言わんばかりの意外そうな顔で見つめられる。

「元々は剣道と合気道をやってた。高校では柔道部だった。武道そのものは好きだったんだよ、技を磨く稽古は楽しかった。でも、試合となるとな……勝ちにこだわるあまりに綺麗な技ではなくなって、荒っぽい、なんつーか、ケンカみたいな形になってる周りと合わなくてな……好きになれなかった」

「そうなんですね。つまり、強いと上手いは、イコールではない?」

的を射た整理に、素直に驚く。周斗は頷いて続ける。

「ああ。もちろん、熟練者ともなるとそこはある程度一致する。けど、中高生くらいだとまだ体格も技も熟練度も高くはないからな。そんな中で勝たなきゃいけない、って圧力に追われると、バタバタのガチャガチャで無茶苦茶な動きになりがちなんだよ。それが嫌いでな」

思い出しては嫌そうな顔をする、そんな周斗の顔を見つめながら、愛理は静かに、真剣な顔で傾聴する。

「幸い、高校の柔道部は弱小校だったし、ぬるい奴らばっかだったから、試合に躍起でもなかったし、ただ稽古するぶんには都合良かった。だから、あんまり目的らしいものもなく、ただ色んな技を修得したいって気持ちだけ、だったんだな」

「そんな周斗さんが、スタントマンを目指すキッカケとなった映画が、あった?」

少し、得意そうに先を言う愛理に、周斗の表情が明るくなる。

「そう、古い映画だけどな。役者さんがスタントなしでやる格闘アクション映画で、ただスタントなしがすごいってだけじゃなくて、ワイヤーアクションやVFXも使わず、高速回しで誤魔化さず、細かくカットを割ってスピード感を演出しようとせず、純粋なカメラワークでどんなアクションをしてるか観客にしっかり見せる、そういう映画だった」

周斗の目は、みるみると輝いていく。それを眺める愛理も、楽しそうだ。

「それ観て、あぁ、こういうことしたいなって。全身を、自分のすべてを存分に使ってできるパフォーマンスを、したいなって思うようになったんだ。それから詠春拳――中国拳法の流派の一つだな。それを習いはじめて、高校卒業後に今の事務所で、本格的にスタントマンとしての修行中、ってとこだ」

言い切った周斗の顔は、すっきりしている。今の自分に満足してる、そんな顔だ。

「なるほどぉ、納得です。周斗さん、いくらスタントマン志望といっても、仕上がりが良すぎるなぁって感じてたんですけど、元々ずっと長年武道を続けていたから、だから土台ができていたんですね」

愛理はこれまでのことを思い出すようにしきりに目を動かしては、うんうん頷く。

「まぁ、結果的に、な。で、スタントマンとして修行してる中で、これやったら面白い動きになるんじゃないか?そう思い付いたのが、この微っ妙〜な能力のFバンだった。これがやってみたらなかなかに面白くてな。そんなこんなで今はスタントマン志望としてFIELDで売名です。おまえと同じなんだよ、俺も」

そう言って周斗が愛理を見ると、愛理の顔からはさっきまでの明るさが消え、遠くを見つめはじめた。

「違いますよ、私とは……」

何かまずいことを言ってしまったか。周斗はどきりとして、今度は愛理へ話を振る。

「……おまえは?」

愛理は、少し口が重くなる。それでも正直に胸の内を語る。

「私は……子供の頃からアイドルが夢でした。子供の夢物語、親はそれを応援してくれてました。周りも、同じように。だから、アイドルになれるものだと思ってました」

遠くを見つめたまま、周斗と同じように、思い出しながら続ける。

「中学のときに今の事務所にスカウトされても、すんなり受け入れられました。その時が来たんだぁ、って。でも実際アイドルになってみたら……世知辛いもんですね」

そう言って周斗へ振り返るその顔は、困ったような、少し無理をしてるような愛理らしくない歪な笑顔だった。

「それが現実でした。要は私はただの世間知らずの井の中の蛙。なのに自分はなれると思い込んで――調子に乗ってたんです」

それは言い過ぎじゃないかと、周斗は思った。なにもそこまで自分を卑下しなくたっていいのに。そう思ったが、周斗は愛理がそうだったように、自分も真剣に、静かに傾聴する。

「アイドルの道を選んだことには後悔はありません。でも、なかなか上手くいかなくて……それで私なりの工夫もしたりしたんです。Fバンの練習をして、決めポーズとかも考えて……ライブでファンへのレスポンスをFバンで返すぅ、とか」

その発想には純粋に驚いた。ファンたちの反応が目に浮かぶ。

「おぉ!それはファンは嬉しいだろうな、推しの子がライブ中に自分にウィンクして撃ってくれたら、自分を見てくれてるって実感はめっちゃ強いだろう。ウケたんじゃないか?」

けれども愛理の顔は、未だ暗いままだ。

「はい、それなりには。でも、アイドル活動としては上手くいかないんですよぅ……それで、苦肉の策といいますか、この大会に……」

そして視線を落とす、小さく、でも力強く断言する。

「売名は売名、周斗さんと同じですが、その意味や価値が全然違います」

周斗は黙った。返す言葉がなかったわけじゃない、むしろ反論したかった。しかし、これは愛理の心の問題だ。他人がおいそれと踏み込んでいいことではない。

だから、周斗は言葉を選ぶ。今のこと、それに集中する。

「なんだっていいじゃねぇか、そんなこと。一生懸命やってるから、必死になれるんだろう?アイドルのことはわかんねぇけどさ、頑張ってるってことだけは、わかるよ。それに、もう売名そのものは成功してると思うぜ?ここまで生き残ってるんだからな。中継にだってかなり映ってるだろう。及川さんがいるから厳しいかもしれないけど、ベスト8だってまだ射程圏内だ」

そう、FIELDの話へ持っていくことで、励ましたつもりだった。

「そう……ですかね」

「そうさ。それに俺だってまだまだだよ。スタントマンとして名前売れてるわけじゃねぇし、本格的な仕事もまだない。それに、上には上がいるし、さ」

周斗はスタント界のベテラン勢とともに、オールド――及川のことも考えていた。どんな世界にも、すげーやつがいる。そう痛感していた。

「まだ若いんだ、そう思い詰めるなよ。後悔はしてないんだろう?なら、いっぱい考えていっぱい挑戦して、楽しめよ。失敗も成功も、さ。どんな形であれ、自分の糧になるように」

愛理の表情が、少し綻んだ。

「大人っぽいですね」

「大人だからな。まぁ、あんまり芯のあるアドバイスではなかっただろうけど」

結局、ありきたりなことしか言えなかった。そう思って、自分の未熟さを実感していた。こういうのは、苦手だ。

けれども、愛理は次第に、いつもらしさを取り戻していく。

「いえ――少し、なにかが見えた気がします」

そう言って再び周斗をみつめるその目は、本当に、なにかを見付けたような、そんな目だった。

 

◇

 

夜遅く――

夜のFIELDには、昼とは違う緊張がある。

見えない――

だからこそ、何も起きていなくても、何かいるように感じる。

森。

風。

枝。

葉。

遠くの動物の声。

その中に人間の足音が混じっていないか。

誰もが耳を澄ませる。

「おトイレ行ってきます」

そう声をかけて、愛理が端末を取り出す。

「わかった。移動する」

「はい」

FIELDでは、トイレ使用を端末から申請する。

運営が確認すると、その選手は非戦闘扱いになる。

終了後も十分間は無敵。

その仕組み自体は安全対策として十分に機能している。

だが、無敵が切れた瞬間まで誰かが待つことは禁止されていない。

まして、トイレから元の場所へ戻る選手を遠くから尾行し、その先にいる仲間まで探ることはできる。

だから周斗たちは、毎回同じ場所へ帰らない。

事前にいくつか合流候補を決めておく。

今回は、最初に見付けたあの傾斜の下だ。あそこなら、そのまま朝まで過ごせるだろう。

片方がトイレへ行く。

もう片方はその間に移動する。

トイレを終えた側は、十分間の快適な無敵時間の中で新しい合流地点へ向かう。

もし尾行がいれば、待っている周斗が先に気づける。

単純な方法だ。

けれど、二人で動く以上、それだけでもかなりリスクを下げられる。

愛理が端末を操作する。少しして、運営から許可表示が返ってきた。

「行ってきます」

「おう」

愛理が歩き出す。

けれど、何歩か歩いたところで、ふと止まった。

そして振り返らずに、なにかを言いかける。

「そういえば……」

「どうした?」

「さっき、名前で呼んでましたよね」

「うん?……そうだったか?」

「呼んでました」

「それがなにか?」

「いえ別に」

愛理はそれだけ言うと、また歩きだす。

声は平静だった。けれど、ほんの少しだけ歩幅が軽く見えた。

周斗には、その理由がよくわからない。

これまで「24番」だの「おまえ」だの呼んでいた相手を、一度名前で呼んだ。

ただそれだけだ。

本人も意識して呼んだわけではない。

あの瞬間――

二階から飛び降りる――着地――衝撃。起こす――走る。

気づけば口から出ていた。ただそれだけのこと。

「……変なやつ」

周斗は小さく呟いた。

もっとも、愛理の姿はもう見えない。

 

夜間襲撃はルール上は合法だ。

寝ている相手を撃つこともできる。

過去には、実際に深夜帯の奇襲で大量ポイントを奪った選手もいる。

だが、それがFIELDの主流になったことはない。

理由は簡単だった。

誰だって眠りたい。

自分が夜襲を警戒して一晩中起きていれば、そのぶん翌日の動きが鈍る。

さらにFIELDは戦争ではない。殺し合いでもない。

プレイヤーに多くの選択を委ねる、純粋なスポーツ競技だ。

夜に眠る。

トイレへ行く。

疲れれば休む。

そうした人間として当たり前の生理現象や行動が残っているからこそ、この競技はサバイバルゲームでありながら、本物の戦争とは決定的に違う。

もちろん、全員がそう考える保証はない。

だから周斗は警戒する。

警戒したうえで眠る。

それだけだ。

今回の参加者は、とくにその傾向が強いらしい。二日目の夜になっても、大きな夜襲は起きていない。

真中と虎トラッカー。

オールド。

そしてアサシン。

正体の見えない猛者が残っている。

それでも、夜だけは、妙に静かだった。

――。

合流予定地点。

周斗は一人、太い木の根元へ背を預けることもせず、少し離れて立っていた。

視線を固定しない。

右――左――後ろ――上。

そしてときどき足元。

暗闇では、一点を見続けるより周辺視野へ意識を広げる方がいい。

愛理が戻るまで、あと少し。

そのとき――

ガサリ。

茂みが揺れた――周斗の右手が即座に上がる。

人差し指――照準。

動いた場所へ向く。

同時に茂みの奥から、一人の影が現れた。

小柄で、細身。

十六歳。

――"アサシン"こと、藤沢純だ。

周斗の指は、そのまま止まる。

藤沢も周斗を見た。

そして、藤沢の右手も、すでに上がっている。

互いに。

人差し指――頭部。

距離――近い。

外す距離ではない。

どちらが先に撃つか。

ほんの少しの集中。

ほんの少しの判断。

それだけで一人が終わる。

周斗は藤沢の顔を見る――無表情だ。

呼吸も乱れていない。

殺気を剥き出しにしているわけでもない。

だが、撃とうと思えば撃てる。

そのことだけは、明確にわかる。

藤沢も同じだった。

周斗の指。

姿勢。

足。

距離。

すべてを見ている。

数秒の間、森の音だけが流れる。

耳をかすめる風の音――揺れる葉音――虫の声――遠くの枝が落ちる音――

二人とも撃たない。

それは奇妙な時間だった。

互いに敵同士だ。残りは九人。あと三人減ればFINAL。

なら、ここで一人落とせばいい。合理的に考えれば、それが正しいはず。

だが、藤沢は動かなかった。

やがてゆっくりと腕を下ろす。

周斗は目を細めた。

それから、自分も腕を下ろす。

藤沢は何も言わない。周斗も何もいわない。

笑わない。

会釈もしない。

ただ藤沢は、そのまま周斗の横を通ることもせず、来た方向とは少し違う角度へ身体を向けた。

そして――

森の闇へ消えていく。

足音すら、すぐに聞こえなくなった。

周斗はしばらく、その方向を見ていた。

追わない。

撃たない。

藤沢もそうした。

なぜか――

その理由を、周斗はなんとなく理解した気がした。

昼間は姿を見せず、必要な瞬間だけ撃つ。

無駄に戦わない。

狙える相手すべてを狙うわけではない。

――自分のFIELDをやっている。

そしてそこには、本人なりの矜持がある。

そう感じさせる奴だった。

周斗は小さく息を吐く。

「……なるほど、藤沢純、ね……」

森は、また何事もなかったように静かになった。

残り。

九人。

そしてFIELDは、三日目へ向かっていく。


――――――――――


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