『THE 4TH KIND フォース・カインド』の個人的な感想・考察

 『THE 4TH KIND フォース・カインド』の個人的な感想・考察


①『THE 4TH KIND フォース・カインド』(2009年・アメリカ・監督:オラトゥンデ・オスンサンミ)


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② あらすじ(起承転結・ネタバレあり)

舞台はアラスカ州ノーム。

心理学者アビゲイル・タイラー博士は、睡眠障害を訴える複数の患者を診察していた。

患者たちには奇妙な共通点がある。

夜中、ほぼ同じ時間帯に目を覚ます。

そして窓の外に、一羽のフクロウを見る。

博士は患者たちの深層心理に原因があるのではないかと考え、催眠療法によって記憶を掘り起こそうとする。

しかし催眠状態へ入った患者たちは、ただ過去を思い出すだけではない。

突然激しく怯え、叫び、身体に異常をきたし、

「フクロウではない何か」

に関する断片的な記憶を語り始める。

映画は、この出来事を単純な劇映画としては見せない。

劇中では、

“実際の記録映像”とされる映像。

その記録を俳優たちが再現したドラマ。

さらに現在のタイラー博士へのインタビュー。

この複数の映像を組み合わせ、

「これは本当に起きた出来事なのか?」

と観客へ問いかける構造になっている。

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患者たちへの催眠を続けるうち、異常はさらに激しくなっていく。

ある患者は催眠中に強烈な恐怖を訴し、不可解な行動へ至る。

別の患者も、同様の恐怖体験を語る。

互いに接点のない人々が、

同じ時間。

同じフクロウ。

同じような恐怖。

を経験している。

博士は、これが単なる個人的な睡眠障害ではない可能性を疑い始める。

やがて催眠中の音声には、現代人が普通に使用するはずのない古代シュメール語らしき言葉まで現れる。

そこで博士たちはシュメール文明に詳しい専門家へ助言を求める。

古代の言葉。

アラスカの失踪事件。

患者たちの共通した記憶。

不可解な映像。

それらが何らかの形でつながっている可能性が浮かび上がる。

しかし、ここまで事態が大きくなっているにもかかわらず、調査は本格的な研究チームへ発展しない。

警察との連携もうまくいかない。

博士と警察は対立し、互いに感情的な反応を繰り返す。

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さらにタイラー博士自身の記憶にも疑問が生じる。

彼女は夫の死について、自分が信じていたものとは異なる事実を知らされる。

博士の夫は何者かに殺害されたのではなく、自殺していた可能性が示される。

つまり、

「タイラー博士自身の記憶も信用できないのではないか」

という疑念が作品内へ持ち込まれる。

一方、患者たちの催眠中の異常現象はますます激しくなり、博士自身の家族にも被害が及ぶ。

博士の娘も姿を消し、彼女はその出来事を知的生命体による拉致だと考えるようになる。

催眠状態の中では、人間ではない何者かによって身体を調べられたような、アブダクションを思わせる断片的な映像まで示される。

しかし、それが客観的に記録された事実なのか。

博士本人の記憶なのか。

催眠下で作られたイメージなのか。

映画は明確な答えを出さない。

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タイラー博士は、自分と患者たちが遭遇したものについて語り続ける。

しかし決定的な証拠は残らない。

娘の失踪も解決しない。

劇中で語られた知的生命体の存在も、科学的に立証されることはない。

映画は最後まで、

「宇宙人は存在した」

とは断言しない。

提示されるのは、

患者たちの証言。

催眠記録。

不可解な映像。

古代シュメール語。

失踪。

博士自身の証言。

それだけ。

最終的な判断は観客へ委ねられる。

本当に人知を超えた何かが存在したのか。

それとも、記憶、心理、催眠、偶然によって作り上げられた物語なのか。

映画は、

「信じるかどうかは、あなた次第」

という姿勢を保ったまま幕を閉じる。

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③ 考察・感想・まとめ

『フォース・カインド』。

まず感情論だけで言えば、

個人的には、つまらなかったです。

UFO。

UMA。

超古代文明。

未知の知的生命体。

いわゆる月刊ムー的なオカルトは普通に好き。

だから題材が嫌いなわけではない。

むしろ好きな側。

それなのに、この作品には、

オカルトロマン。

不気味さ。

恐怖。

どれもほとんど感じなかった。

なぜなのか。

いろんな角度から考えてみた結果、

着想は面白い。でも、その着想を映画として成立させるための中身がなさすぎる。

これが最終的な感想になりました。

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まず、この映画の映像形式自体は悪くない。

むしろアイデアとしては面白いです。

“実際の録画映像”として作られた映像。

その出来事を再現する劇映画部分。

タイラー博士への現在のインタビュー。

記録映像と再現映像を画面上で同時に並べる。

「こちらが実際の映像です」

「こちらが再現です」

という形で、観客へ本物らしさを演出する。

UFO系映画としてはかなり特徴的。

劇中でも宇宙人の存在を完全には確定しない。

あくまで、

「こんな記録が残されています」

「どう判断するかは観客に任せます」

という形式。

この着想は評価できます。

よく考えたな、とも思う。

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ただし。

モキュメンタリーって、本物っぽい映像を作れば成立するわけではない。

むしろ重要なのは、

その映像の中で人間が、

本物の人間らしく動くこと。

この映画はそこが弱い。

心理学者がおよそ心理学者らしくない。

警察も警察らしくない。

研究も研究らしくない。

患者管理も雑。

証拠保全も雑。

真相究明の方法も雑。

だから、

「本当にあった記録を観ている」

という感覚がどんどん崩れていく。

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まず催眠。

これを多用しすぎです。

催眠そのものを使うのはいい。

抑圧された記憶や睡眠障害を扱うなら、映画的にも使いやすい。

でも催眠って、

数を数えれば眠る。

記憶が出る。

その記憶が真実。

そんな万能装置じゃない。

催眠による記憶想起には、

暗示。

記憶の変容。

偽記憶。

本人自身の思い込み。

いろんな問題がある。

だからこそ、催眠中に得られた証言だけで真実を判断してはいけない。

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例えば『セッション9』なんかを思い出しても、

記憶。

催眠。

人格。

記録された声。

それらがそのまま「真実です」とはならない。

そこに不確かさがあるから怖い。

『フォース・カインド』も本来、

催眠で奇妙な証言が出た。

でも催眠だから信用できない。

では別の方法で確認しよう。

となるべきだった。

そこが研究です。

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なのにこの映画、

催眠。

異常。

催眠。

異常。

催眠。

絶叫。

ほとんどこれ。

怪異の大部分が、

催眠中にしか出てこない。

だから途中から、

「催眠すると変なことが起こる映画」

にしか見えなくなる。

UFOが迫っている怖さではない。

催眠そのものがホラーギミックになってしまっている。

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最初の一人くらいは、もっと催眠導入を細かく見せてもよかったと思います。

どういう目的で行うのか。

患者へ何を説明するのか。

安全性をどう確保するのか。

暗示を避けるために何をするのか。

記憶が出ても、それを事実とは扱わないこと。

そのあたりをちゃんと専門職らしく描く。

最初に一回やれば、その後は省略していい。

観客は、

「あの手続きをやったんだな」

と補完できる。

それだけでリアリティが全然違う。

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そして催眠で異常が出たなら、

別角度から検証しないといけない。

ここがこの映画には決定的に足りない。

睡眠研究。

神経学。

心理学。

言語学。

警察捜査。

映像解析。

音声解析。

周辺環境。

患者同士の接点。

全部必要。

心理学者一人で抱える規模ではない。

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そもそもタイラー博士が、ほとんど単独で公的研究を進めている時点で謎。

後から協力者が増えても、調査方法がほとんど変わらない。

だったら何のために専門家を増やしたの?

となる。

研究って、

自分一人では検証できないから専門分野を分けるもの

でしょう。

異常な患者が複数いる。

失踪事件まで絡む。

死者まで出る。

古代語まで出る。

そこまで来たら、個人の心理研究の範囲ではない。

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しかも患者の安全管理がひどい。

催眠中にあれだけの異常を起こした患者を、

そのまま家へ帰す。

いやいや。

まず帰宅させないでしょう。

最低でも一晩程度は病院で経過観察。

睡眠障害が主訴なら、環境を変えて睡眠そのものを観察する。

催眠を行っていない状態でも異常が起こるか確認する。

身体状態も確認する。

安全性を確保する。

そこからでしょう。

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もし入院中、

催眠をしていないのに、

午前3時に突然目を覚ます。

同じフクロウを見る。

同時刻に機械へ異常。

隣室の患者も同じ反応。

となったら、

一気に怖くなる。

催眠が原因ではない。

という可能性が初めて出てくるから。

でも映画はその切り分けをしない。

だから催眠以外へ怪異が広がらない。

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UFOオカルトなら、もっと日常の中に異常を撒くべきだった。

時計が狂う。

毎晩同じ時間に止まる。

耳鳴り。

犬や野鳥の異常行動。

電波障害。

ラジオのノイズ。

携帯が圏外になる。

別々の家の防犯カメラが同じ時刻だけ乱れる。

複数の患者に同じ身体的痕跡。

上空の星が一瞬だけ何かに遮られる。

円盤そのものなんて出さなくていい。

「なんかいる?」

を積み上げればいい。

それがUFOオカルトでしょう。

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特にフクロウ。

この設定、かなり良いんですよ。

患者たちが皆、

「窓の外にフクロウがいた」

と言う。

これは、

普通のフクロウなのか。

夢なのか。

別の何かを脳がフクロウとして認識しているのか。

いろいろ使える。

だったら調べればいい。

患者宅へ定点カメラを設置。

同じ時間に録画。

フクロウが映るか確認。

足跡。

羽毛。

鳴き声。

周辺の野鳥の生態。

全部調べる。

でも何も残らない。

なのに患者だけは同じものを見る。

これだけでも十分不気味。

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そしてシュメール文明。

ここも、本当に勿体ない。

シュメール語らしき発話。

古代文明。

現代のアラスカ。

UFO。

これ、月刊ムー好きならめちゃくちゃおいしい部品じゃないですか。

専門家まで出してくる。

なのに、

ほとんど活用しない。

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本当にシュメール語なのか。

似た音なだけでは?

別々の患者が同じ単語を使っているのか。

患者たちに古代史やシュメール文明との接触歴はあるか。

古代文献には何が書かれているのか。

現地の伝承と一致するものはないか。

他国のアブダクション事例にも同じ語句はないか。

ここまで調べれば、

心理学。

言語学。

古代史。

民俗学。

UFO。

全部つながる。

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そして、

「いや待て、これ全部同じものを指してないか?」

となる。

これこそオカルトロマン。

ラヴクラフト的でもあるんですよね。

古代の記録。

理解不能な言語。

人類以前から存在していたかもしれない知性。

世界中に残された断片。

それらをつなげた瞬間、

人間の世界観そのものが崩れる。

そんな宇宙的恐怖へ行ける素材まで持っていた。

なのに、

「シュメール語です」

という部品だけ出して終わる。

強いカードを持ってるのに、場に置いただけ。

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警察もひどい。

この映画の警察、

ほとんど捜査しない。

決めつける。

怒鳴る。

博士を疑う。

博士は反発する。

また怒鳴る。

これでは、

科学 vs 超常現象

にも、

合理性 vs オカルト

にもならない。

ただ感情的な大人同士が喧嘩しているだけ。

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警察はもっとまともでいい。

最初は当然、

「宇宙人なんて証拠になりません」

でいい。

むしろそれが正しい。

催眠証言だけでは捜査できない。

それも正しい。

だから博士が証拠を出す。

映像。

音声。

患者証言。

時間。

失踪者。

警察が調べる。

それでも説明できるうちは否定する。

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そして、

警察官がいる場所で怪異が起きる。

これでいい。

無線が切れる。

時計が止まる。

車載カメラが乱れる。

上空に何か。

人が消える。

初めて警察側も、

「これは何だ?」

となる。

合理的に否定していた人間まで、合理性では処理できないものに遭遇する。

このほうが圧倒的に怖い。

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証拠保全も同じ。

映像にノイズが入る。

だったら別系統の記録を増やすでしょう。

音声レコーダー。

写真。

紙の記録。

アナログ媒体。

複数の時計。

別室からの録画。

外部カメラ。

もし電磁気的な異常を疑うなら、電子機器以外も併用する。

それが、

証拠を揃えて検証する

ということ。

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なのに映画では、

記録が壊れました。

証拠がありません。

でも私は見ました。

みたいな方向へ行く。

いや、

壊れるなら壊れない方法を考えろよ。

となる。

研究者なのだから。

「証拠を残せない怪異」が怖いのと、

「証拠を残す努力をしていない」のは全然違う。

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夫の死についても、私は不要だったと思います。

タイラー博士は夫が殺されたと思っていた。

でも実際には自殺。

つまり、

博士自身の記憶まで信用できない。

この仕掛けで、

「彼女の証言そのものを信じていいのか?」

と揺さぶりたかったのでしょう。

狙いはわかります。

でも、いらない。

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そもそもこの作品、

ただでさえ、

催眠の信頼性が怪しい。

証拠が弱い。

研究も弱い。

警察も信用できない。

そこへさらに、

主人公自身も信用できません。

まで足した。

すると、

「宇宙人がいるかもしれない」

ではなく、

「この人が精神的に不安定なだけでは?」

へ寄りすぎる。

オカルトの謎を深めるのではなく、

オカルトそのものを弱くしてしまう。

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それなら、

最初のタイラー博士は冷静でいい。

理性的。

研究者として慎重。

催眠証言を鵜呑みにしない。

警察とも協力する。

他の専門家へ相談する。

証拠を集める。

それでも説明できない現象が増える。

そして、

怪異によって少しずつ壊れていく。

こっちのほうが断然面白い。

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最初は完璧に整理された研究映像。

日付。

患者番号。

音声。

診療記録。

固定カメラ。

そこから少しずつ、

時刻が合わない。

音声が増える。

記録が欠落する。

本人にも記憶がない。

研究者仲間まで同じ現象を見る。

最後には、記録そのものが崩壊する。

こうなれば、

映像形式そのものがホラーになる。

モキュメンタリーをやるなら、ここまでやってほしい。

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そして終盤。

タイラー博士自身のアブダクションらしき記憶を、劇映画的な映像で見せてしまう。

ここもかなり引っかかりました。

それまで、

「現存する記録です」

という形式を売りにしていた。

なのに、

カメラが存在しないはずの場所で起きた出来事まで、普通に映像化する。

もちろん、

「彼女の記憶を再現しています」

と言えば成立はする。

でもそれなら、それまでにも、

記憶の再現映像

という文法を明確に作っておくべき。

突然普通の劇映画へ戻るから、

モキュメンタリーという自分で作ったルールを自分で壊してしまう。

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ここまで考えると、

「じゃあどう作ればよかったの?」

にも三つ答えがある。

一つ目。

現在の実録+再現形式を徹底する。

これが一番原型を残す方法。

催眠の限界も描く。

研究チームを作る。

警察も入れる。

証拠保全を徹底。

患者の安全管理。

多角的検証。

別々の専門家が同じ不可解へたどり着く。

それでも最後まで証明できない。

これなら、

「信じるか信じないかはあなた次第」

が本当に効く。

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二つ目。

『死霊館』型の純粋な劇映画にしてしまう。

もう実録なんて捨てる。

アラスカ。

不眠。

午前3時。

フクロウ。

失踪。

シュメール語。

古代文明。

アブダクション。

記憶の欠落。

これだけで十分尖ってる。

普通のUFOオカルト映画として、

少しずつ怪異を増やす。

冷静だった博士が、

調べれば調べるほど怪異へ取り込まれていく。

これでも普通に面白くなる。

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そして三つ目。

『トロール・ハンター』型のPOVモキュメンタリー。

個人的には、これが一番観たい。

めちゃくちゃ面白そう。

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博士が自分でカメラを持つ。

最初は研究記録。

患者へ話を聞く。

定点カメラを置く。

催眠を記録する。

でも、自分だけの知識では足りない。

そこで別の専門家へカメラを持って会いに行く。

睡眠医学。

心理学。

神経学。

シュメール文明。

言語学。

映像解析。

警察。

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調査が進むほど仲間が増える。

仲間が増えるほど、

カメラも増える。

博士のカメラ。

研究室の固定カメラ。

患者宅の監視映像。

警察の車載カメラ。

音声レコーダー。

写真。

別の研究者の記録。

普通なら、

記録媒体が増えるほど真相へ近づけるはず。

でも、

記録が増えるほど、説明不能な事実まで増えていく。

これ、かなり怖い。

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最初はタイラー博士だけが知っている怪異。

次に患者。

研究者。

専門家。

警察。

周囲の人々。

少しずつ、

恐怖が伝播していく。

そして警察官が実際に怪異を目撃する。

そこから警察も当事者へ。

でも真相へは届かない。

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この構造なら『トロール・ハンター』みたいな、

人間社会の泥臭さも入れられる。

研究費が足りない。

大学は嫌がる。

警察は上へ報告したくない。

行政は住民を混乱させるなと言う。

研究者は、

「こんなの発表したらキャリアが終わる」

と逃げる。

現場は疲弊。

でも怪異は続く。

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『トロール・ハンター』が面白かったのって、まさにそこですよね。

トロールなんて完全にファンタジー。

でも、

もし本当にいたら、

誰が処理する?

政府はどう隠す?

現場担当者はどう働く?

待遇は?

被害はどう説明する?

全部、妙に世知辛い。

ファンタジー以外の部分がリアルだから、ファンタジーまでリアルに見える。

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『フォース・カインド』は逆。

宇宙人という大嘘をリアルに見せたい。

なのに、

研究が嘘っぽい。

心理学者が嘘っぽい。

警察が嘘っぽい。

患者管理が嘘っぽい。

証拠集めが嘘っぽい。

人間側がリアルじゃない。

だから宇宙人までリアルに見えない。

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POV版なら最後もいい。

調査すればするほど証拠は増える。

しかし、

証拠が増えるほど仮説が壊れる。

最初は睡眠障害。

違う。

集団心理。

違う。

催眠による偽記憶。

それだけでは説明できない。

何らかの犯罪。

それも合わない。

UFO?

でもそれすら確定できない。

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そして最後。

調査チームが何かへ近づく。

映像が途切れる。

残されたカメラ。

博士たちは行方不明。

政府発表は、

事故。

事件性なし。

UFOとの関係なし。

そして別の土地。

別の人間。

午前3時。

目を覚ます。

窓の外。

フクロウ。

終わり。

いや、これ普通に観たい。

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しかもこの形なら、

宇宙人そのものは最後まで見せなくてもいい。

むしろ見せないほうがいい。

UFOオカルトのロマンって、

存在を証明することじゃない。

否定しようとしたのに、

最後まで否定しきれないものが残る。

そこなんですよね。

不可解だから面白い。

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だから『フォース・カインド』の根本的な問題は、

「宇宙人を見せなかったこと」

ではない。

むしろ、

宇宙人の存在を感じさせるための積み重ねがないこと。

催眠の中で暴れるだけ。

そこから外へ広がらない。

だからオカルトロマンにならない。

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改めて思います。

この映画、

部品はいい。

本当にいい。

フクロウ。

午前3時。

アラスカ。

失踪。

催眠。

シュメール語。

古代文明。

アブダクション。

偽実録映像。

再現ドラマ。

全部使える。

でも、

部品を並べただけで、つないでいない。

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これは『リターン・トゥ・サイレントヒル』を観たときにも似たことを感じました。

あちらは、

原作記号。

こちらは、

実録モキュメンタリー記号。

見た目の部品は揃っている。

でも、

その形式を一本の映画として成立させる骨格が弱い。

だから、

「アイデアは面白い」

以上へ行けない。

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そして『死霊館』シリーズなどを観慣れた今だと、怪異の積み上げ方の差もかなり見えてしまう。

『死霊館』は王道です。

物音。

人影。

家具。

憑依。

悪魔。

やっていること自体は古典的。

でも、

少しずつ異常を強くする。

家族だけが知る。

第三者が入る。

専門家が調べる。

記録する。

専門家側にも怪異が広がる。

そして最後に大きな超常現象へ行く。

段階設計がきちんとしている。

だから怖い。

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『フォース・カインド』は、

最初から催眠。

叫ぶ。

また催眠。

もっと叫ぶ。

さらに異常。

縦方向には強くなる。

でも横方向へ広がらない。

検証しない。

周辺環境へ広がらない。

専門家へ広がらない。

警察へ合理的に広がらない。

だから、

異常は派手になっているのに、謎は深くならない。

ここが決定的に弱い。

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そして最終的に思ったのが、

着想だけでは映画にはならない。

実録映像と再現映像を並べる。

面白い。

催眠で宇宙人の記憶を掘り出す。

面白い。

シュメール語を絡める。

面白い。

でも、

「それから?」

がない。

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催眠を扱うなら催眠を調べる。

研究者を主人公にするなら研究を調べる。

警察を出すなら捜査を調べる。

シュメール文明を出すなら古代史を使い切る。

UFOを扱うなら古典オカルトを学ぶ。

モキュメンタリーなら、

実際の人間がどう動くのかを徹底して考える。

そこまでやって初めて、

アイデアが映画になる。

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だからかなり厳しい言い方になるけど、

アイデアだけで勝負して、その先の勉強と積み上げが足りなかった作品。

私はそう感じました。

古典オカルトロマンから勉強し直してこい。

ラヴクラフトも見ておけ。

そこまで思った。

──────────────────

もちろん、2009年当時に、

実録映像と再現ドラマを同時に見せ、

「これは本当に起きたことです」

という形で観客を揺さぶろうとした発想自体は評価します。

そこは否定しない。

でも、

アイデアが良かったことと、映画が良かったことは別。

それは切り分けたい。

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この作品が目指したものを完成させる方法は三つあった。

今の実録形式を本気で詰める。

『死霊館』のような純粋な劇映画へ作り直す。

『トロール・ハンター』のようなPOVモキュメンタリーへ極振りする。

どれでもよかった。

どれでも、今より面白くできたと思う。

でも映画は、

そのどれにも最後まで振り切らなかった。

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だから最終評価。

「着想は面白い。部品もいい。でも、それを映画として成立させるための調査、検証、怪異の積み重ね、人物のリアリティが圧倒的に不足している。」

そして、もっと端的に。

「アイデアだけで勝負して、その先がない。映画としては駄作。」

これが、あらゆる角度から考えたうえでの私個人の感想です。

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ただ、一つだけこの映画から得たものがあるとすれば、

『トロール・ハンター』型のUFO調査POV映画、めちゃくちゃ観たい。

そこですね。

博士がカメラを持ち、

一つずつ不可解を追う。

専門家が増える。

カメラが増える。

証拠が増える。

なのに真相だけは遠ざかる。

最後には恐怖が調査する側へ伝播していく。

そして何かを掴む直前、

記録だけが残る。

これくらいオカルトロマンに極振りしてくれたら、私はかなり好きな映画になったと思います。

『フォース・カインド』そのものには刺さらなかった。

でも、

「どうすれば本当に面白いUFOモキュメンタリーになったのか」

を考える材料としては、かなり面白い一本でした。


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