『ハンガー・ゲーム』シリーズの個人的な感想・考察
『ハンガー・ゲーム』シリーズ
(2012~2015年・アメリカ/監督:ゲイリー・ロス、フランシス・ローレンス)
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① シリーズ作品
『ハンガー・ゲーム』(2012年/監督:ゲイリー・ロス)
『ハンガー・ゲーム2』(2013年/監督:フランシス・ローレンス)
『ハンガー・ゲーム FINAL:レジスタンス』(2014年/監督:フランシス・ローレンス)
『ハンガー・ゲーム FINAL:レボリューション』(2015年/監督:フランシス・ローレンス)
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② あらすじ
『ハンガー・ゲーム』
【起】
舞台は近未来の独裁国家パネム。
かつて13の地区が首都キャピトルに反乱を起こしたものの鎮圧され、第13地区は消滅。残された12地区では、反乱への戒めとして毎年、少年少女を一人ずつ選び、最後の一人になるまで殺し合わせる「ハンガー・ゲーム」が開催されていた。
第12地区に暮らすカットニス・エヴァディーンは、抽選で妹プリムが選ばれたことで、自ら身代わりとして志願する。
男子代表となったのは、以前カットニスを助けたことのあるピータ・メラークだった。
【承】
二人は付き添いのエフィー、かつての優勝者ヘイミッチとともにキャピトルへ向かう。
貧しい第12地区とはまるで別世界のような豪華な列車、食事、建物、訓練施設。
そして、奇抜なファッションに身を包んだ富裕層たちは、少年少女が殺し合うゲームを最高の娯楽として楽しんでいる。
当初は奇妙で冷淡な首都人に見えたエフィー、酒浸りでやる気のなさそうなヘイミッチ、そしてスタイリストのシナも、次第に単なる「ゲーム運営側の人間」ではないことが見えてくる。
彼らもまた体制の中に組み込まれた人間だった。
カットニスとピータは、スポンサーを集めるためにテレビショーへ出演し、ピータは以前からカットニスを愛していたと告白。
二人は「悲劇の恋人」として注目を集める。
【転】
ゲームが始まる。
しかし作品は、単純な殺し合いの残酷さを前面に出すわけではない。
ピータはカットニスを生かすために強豪たちの同盟へ入り、裏側で彼女を守る。
カットニスは幼い少女ルーと協力し、彼女の死後には遺体を花で飾る。
ただの「脱落者」として処理されるはずだった少女を、一人の人間として悼む行為。
それ自体が、ハンガー・ゲームという制度への小さな反逆だった。
やがて「同じ地区の二人なら、ともに優勝できる」というルールが発表され、カットニスとピータは再び合流する。
【結】
最後まで生き残った二人。
しかし運営は突然ルールを撤回し、「勝者は一人」と告げる。
そこでカットニスとピータは、互いを殺すのではなく毒の実を同時に食べ、自ら二人とも死ぬことを選択する。
勝者がゼロになれば、ゲームそのものが成立しない。
慌てた運営は二人とも優勝者と認める。
表向きは美しい恋人同士の勝利。
しかし実際には、二人の子供が全国放送の前でキャピトルへ条件を突きつけ、国家側を折れさせた瞬間だった。
「首都にも言うことを聞かせられる」。
その事実が、パネム全土へ放送されてしまった。
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『ハンガー・ゲーム2』
【起】
第74回ハンガー・ゲームを二人で生き残ったカットニスとピータ。
二人は各地区を巡る凱旋ツアーへ出るが、カットニスの行動はすでに各地で反乱の象徴となり始めていた。
スノー大統領は彼女を危険視する。
一方、カットニス自身は革命家になりたいわけではない。
ピータとの「恋人」を演じながら、故郷にはゲイルがいる。
恋愛関係も複雑になっていくが、作品はそこへ寄りすぎず、次第に迫る国家規模の危機へ焦点を移していく。
【承】
第75回記念大会。
今回は過去の優勝者たちの中から再び出場者を選ぶという、異例のルールが発表される。
カットニスはまたアリーナへ戻される。
ピータは真っ先にヘイミッチへ「カットニスを助けてくれ」と頼む。
一方カットニスは、恐怖と混乱の中でしばらく時間が経った後に、ようやくヘイミッチへ「ピータを助けて」と頼む。
そこでヘイミッチが突きつける。
ピータとお前は違う。
何度生まれ変わっても、お前はあいつには釣り合わない。
この言葉が非常に効いていた。
カットニスは狩人であり、サバイバー。
危険に遭えばまず自分が生きるために動く。
それは決して単純な悪ではない。
第12地区で家族を養い、生き抜いてきたからこそ身についた能力でもある。
そして冷静さを取り戻したとき、彼女もまた「ピータを生かすべきだ」という答えへたどり着いている。
だから都合よく二人の男を振り回すだけの主人公にはならない。
【転】
今回、エフィーの表情も大きく変わる。
再び抽選を行う彼女は、本気で苦しそうな顔をしている。
列車でも怒りを露わにし、第12地区チームは金色で統一しようと提案する。
第1作では奇妙な首都人にしか見えなかった彼女が、カットニスたちと過ごすうちに確かな情を持っていたことが分かる。
シナもまた、スタイリストという立場から反逆する。
カットニスのドレスを炎の中でモッキングジェイへ変化させ、全国放送の舞台で反乱の象徴を完成させる。
シナの行為は明白な反逆。
そのため彼は命を奪われる。
だが、彼の反逆は決して無駄ではなかった。
あの衣装を見た各地区の心へ、莫大な燃料を投下した。
武器を持たず、演説もしない。
自分に与えられた「衣装」という武器だけで国家へ攻撃した、強力な反乱の尖兵だった。
そして第75回ハンガー・ゲームが始まる。
フィニックをはじめとした過去の勝者たちと同盟を組むカットニスとピータ。
しかし、誰をどこまで信用できるのか分からない。
今回のアリーナは、もはや単純なデスゲームでもない。
毒霧、猛獣、津波など、闘技場そのものが巨大な処刑装置となって参加者へ襲いかかる。
【結】
やがてカットニスは、電線を巻いた矢をアリーナ上空のドームへ撃ち込む。
矢は障壁を破壊し、ハンガー・ゲームそのものを崩壊させる。
第1作で人間へ向けられていた彼女の弓矢が、今度は「ゲームそのもの」を破壊する武器になる。
しかしピータは救出できなかった。
カットニスが目覚めると、そこは消滅したはずの第13地区。
プルターク、ヘイミッチたちから、本格的な反乱が始まったことを知らされる。
カットニスは、自分の知らないところですでに革命の象徴となっていた。
第1作が世界と人物を作り、第2作はその盤面をひっくり返す。
ゲームから戦争へ。
この作品は、その橋渡しとして非常にバランスが良かった。
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『ハンガー・ゲーム FINAL:レジスタンス』
【起】
第13地区へ運ばれたカットニス。
第12地区は破壊され、ピータはキャピトルに捕らえられている。
13地区には反乱軍の指導者コイン大統領、プルターク、ヘイミッチがいた。
カットニスには「モッキングジェイ」として、反乱軍の象徴になることが求められる。
だが本人にとっては、まだすべて巻き込まれから始まった戦いだった。
【承】
カットニスは反乱軍のプロパガンダ映像を撮影する。
しかし台本を読ませても、まったく上手くいかない。
彼女は演説家でも、役者でもない。
そこでヘイミッチが見抜く。
彼女は本物の出来事に直面したときにこそ、人を動かす。
実際の戦場へカメラを持ち込み、そこでカットニスを撮影する。
第8地区の病院がキャピトルによって爆撃され、その惨状を前にカットニスが怒りを叫ぶ。
台本ではない。
本物の怒り。
だからこそ、各地区へ届く。
ヘイミッチはカットニスという人間を最もよく理解する、最高のプロデューサーでもあった。
【転】
反乱の炎は、各地区へ広がっていく。
中でも大きかったのが、水力発電ダムの破壊。
第13地区の特殊部隊がやったのではない。
その地区に暮らす人々自身が立ち上がった。
13地区が人々を操っている段階から、各地区自身が「もうこの体制を拒絶する」という段階へ進んだことを示す重要な場面だった。
一方スノーも、囚われたピータをプロパガンダへ利用する。
カットニスにはカットニス。
スノーにはピータ。
銃撃戦より先に、映像を使って国民の認識を奪い合う戦争が始まる。
放送へ出るたびにピータは痩せ、弱り、明らかに壊れていく。
停電の隙を突いて反乱軍はピータの救出に成功する。
しかし帰ってきた彼は、カットニスを敵と認識するよう洗脳されていた。
助けたはずのピータに首を絞められるカットニス。
反乱軍は前進した。
しかし彼女個人にとって最も大切なものは、壊されて戻ってきた。
【結】
この作品で印象的だったのが、ヘイミッチとカットニスの関係。
恋愛でも家族でもない。
お互いの弱さも醜さも知っている。
それでも最後まで一緒にいる。
ヘイミッチがカットニスへ「本当の友達は俺だけだ」と語る場面には、シリーズを通して積み上げてきた戦友としての信頼があった。
エフィーもまた、13地区でやさぐれながらもカットニスを支えるために立ち上がる。
革命思想ではなく、カットニスへの情でこちら側へ来たことが彼女らしい。
そして、死んだシナが残していたモッキングジェイの戦闘服。
彼は自分が死んだ後まで、カットニスの戦いを支えていた。
第2作では衣装で反乱の旗を掲げ、第3作ではその旗を戦場で着るための姿まで残していた。
この作品は派手な決戦編ではない。
革命軍が完成するまで。
小さな火種が各地区へ広がり、一つの大きな炎になるまで。
最終決戦の前段階として、ここへ映画一本を使ったことは非常に良かった。
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『ハンガー・ゲーム FINAL:レボリューション』
【起】
物語はいよいよ全面戦争へ。
ここでシリーズは完全に、
「戦争とは何か」
というテーマへ振り切る。
キャピトルが正義でないことは当然。
しかし反乱軍だから正義というわけでもない。
報復だから許される。
勝つためなら犠牲は仕方ない。
そう考える人間も増えていく。
ゲイルの戦術もその一つだった。
敵兵を一度負傷させ、救助に来た者ごと二撃目で殺す。
戦術としては合理的。
しかし、そこに善性があるかと言われれば別問題。
戦争とは、結局勝った側の理屈が「正義」になっていく。
【承】
カットニス自身も正義の英雄ではない。
自分の手でスノーを殺すと決め、命令を無視して独断でキャピトルへ向かう。
仲間へは「コインからの秘密任務だ」と嘘をつく。
それでも仲間たちは、その嘘が嘘だと分かっていながら彼女についていく。
正しいからではない。
彼女へ賭けたい。
最後まで信じたい。
そのために仲間たちは次々と命を落としていく。
結婚したばかりのフィニックも、その一人だった。
一方ピータは、少しずつ記憶と人格を取り戻していく。
完全に元通りではない。
それでも自分がカットニスへ危害を加える可能性と戦いながら、再び彼女を助ける側へ戻っていく。
ゲイルは「俺かピータか、生き残った方を選ぶんだろう」と語る。
しかしカットニスが最後にピータを選ぶ理由は、単純に「生き残った男だから」ではない。
ピータの持つ善性。
人を生かそうとする姿勢。
戦争で壊れたカットニス自身が生きていくために必要だったのは、その価値観だったのだと思う。
【転】
キャピトル内部は、巨大なハンガー・ゲームそのものになる。
仕掛けられた罠。
次々と死んでいく仲間。
カットニスとゲイルは市民に紛れ、スノーを射程へ収めようとする。
あと少し。
その瞬間、首都の子供たちの上へパラシュート型爆弾が落とされる。
爆発。
負傷者を助けるため衛生兵が駆け込んでくる。
その中にはプリムがいた。
そして第二波の爆発。
カットニスは何もできない。
プリムは死ぬ。
すべてはプリムを守るために始まった。
妹の代わりにハンガー・ゲームへ出た。
生き延びた。
革命の象徴になった。
戦争まで戦った。
それでも最後に、プリムは残らなかった。
では、何のための戦いだったのか。
カットニスに残された喪失はあまりにも大きい。
戦争は彼女がスノーを殺す前に終わる。
その後、スノーとの対話からカットニスは爆撃の真相へ近づいていく。
スノーは残虐な独裁者だ。
しかし、合理性のない嘘をつく男ではない。
あの状況で、自国の子供を爆撃する意味がスノーにはない。
そしてコインは、「首都の子供たちを使って最後のハンガー・ゲームを行う」という提案をする。
そこでカットニスは悟る。
スノーを倒しただけでは、何も終わっていなかった。
次のスノーが生まれようとしている。
【結】
カットニスは、スノーを自分で処刑することを条件に、最後のハンガー・ゲームへ賛成する。
ヘイミッチも賛成票を投じる。
彼はカットニスを信じていた。
そして処刑の日。
カットニスが構えた矢。
その先にいるのはスノー。
しかし彼女が射抜いたのは、コインだった。
スノーは笑う。
カットニスが何を理解したのか、分かったのだろう。
スノーは国民によって殺される。
人々の恨みは人々自身が晴らした。
一方カットニスは、新たな独裁の芽を摘んだ。
第1作では、
「ピータを殺すか、自分が死ぬか」
というルールに対して、二人で死ぬことを選んだ。
第2作では、
「闘技場で最後まで戦え」
と言われて、闘技場そのものを壊した。
そして最後は、
「スノーを処刑しろ」
と言われて、コインを射抜いた。
カットニスは最初から最後まで、
提示された選択肢の中から選ばない。
そこが彼女の一貫した強さだった。
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③ 考察・感想・まとめ
■ デスゲームそのものより、「そこへ至る社会」を丁寧に描いたシリーズ
『ハンガー・ゲーム』の設定自体は、決して珍しいものではない。
日本では『バトル・ロワイアル』や『リアル鬼ごっこ』など、若者が命を懸ける作品は映画版『ハンガー・ゲーム』よりかなり前から存在していた。
だから「若者が殺し合う」という一点だけなら、そこまで新鮮ではない。
このシリーズが良かったのは、そこではなかった。
いきなりゲームへ放り込まない。
第1作からかなり長い時間を使って、
なぜゲームが存在するのか。
誰が運営しているのか。
各地区と首都にはどんな格差があるのか。
参加者はどう商品化されるのか。
スポンサーとは何なのか。
勝者になった後も本当に自由なのか。
そうした周辺構造を全部見せてくる。
だから単純なデスゲーム映画ではなく、
「デスゲームを国家統治のシステムとして成立させたディストピア作品」
になっていた。
シリーズ全体を通して、この丁寧さはかなり維持されていたと思う。
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■ 第12地区のスケール感だけは、もう少し欲しかった
大きな穴ではない。
ただ、細部で惜しかったのが各地区の描写。
第12地区は炭鉱を担う一つの行政地区であり、首都を支える資源供給地でもある。
それなのに映画では、抽選会場となる広場周辺の描写が多く、人口規模があまり大きく見えない。
せいぜい数百人程度の集落にも見えてしまう。
炭鉱。
労働者。
貨車。
住宅街。
丘の向こうまで続く集落。
そういう俯瞰を少し入れるだけでも、
「これだけ大勢が働いて資源を首都へ送り、それでもこの暮らしなのか」
という格差がさらに伝わったはず。
第12地区だけでも大きく見せておけば、他の11地区については観客が自然に想像できる。
首都の巨大さに対して、それを支えている各地区の経済規模がもう少し見えれば、世界そのもののスケール感が一段上がったと思う。
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■ 首都のファッションは分かりやすい。でも個人的にはやりすぎ
これも完全に好みの話。
格差社会を描く近未来SFでは、
庶民は地味。
富裕層は奇抜。
という記号化は非常に分かりやすい。
エフィーが初登場したときは、
「なんだこの変な女」
と思う。
ところが首都へ行けば、周囲もみんな同じような奇抜な格好をしている。
そこで「ああ、エフィー個人がおかしいんじゃなく、この社会の文化なのね」と理解できる。
映像的には非常に分かりやすい。
ただ純粋な好みとしては、あそこまで壊れたファッションでなくても良かった。
現実世界の中世から近世の貴族のような衣装を、未来的な素材や装飾で再構成する程度でも十分だったと思う。
政治体制そのものが前近代的な独裁制なのだから、未来技術と古典的な貴族文化の組み合わせでもむしろ相性は良かったはず。
あの奇抜さには演出上の意味がある。
ただ、
「上流階級が本当にそれを格好いいと思うのか?」
とはちょっと思った。
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■ ピータはシリーズを通して「善性」の基準点だった
このシリーズで、とても重要だった人物がピータ。
カットニスは善人ではある。
しかし同時に狩人であり、サバイバーでもある。
危険に遭えば自分が生きるために考える。
これは第12地区で家族を養ってきた彼女に必要だった能力。
一方ピータは、かなり早い段階から自分より他人を優先できる。
第2作でも真っ先に、
「カットニスを助けてくれ」
とヘイミッチへ頼む。
カットニスはパニックを起こし、時間が経ってから「ピータを助けて」と頼む。
そこで二人の違いが明確になる。
だからカットニスが最後にピータへ戻ることも、単なる恋愛の決着ではない。
ゲイルは戦争へ適応し、合理性のためなら犠牲を許容する方向へ進んでいった。
ピータはどれだけ壊されても、「人を生かす側」へ戻ってきた。
戦争を終えたカットニスが必要としたのは、ピータの持つその価値観だったのだと思う。
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■ エフィー、ヘイミッチ、シナ――体制側にいるから悪人とは限らない
シリーズを通して好きだったのが、この描き方。
第1作では、首都側の人間はみんなイカれているように見える。
しかし徐々に違うことが分かる。
エフィーは毎年子供たちを選び、送り出す役割を担ってきた。
最初は楽しげに見える。
でもカットニスたちと時間を過ごし、第2作で再び二人をゲームへ送り出すことになったとき、本気で心を痛めていた。
革命家ではない。
ただ人として情が移った。
その変化がとても良かった。
ヘイミッチもまた、単なる酒浸りの元優勝者ではない。
自分自身も少年時代にゲームを生き残り、その後は毎年、第12地区から選ばれた子供たちが死んでいく姿を見る。
勝者でさえ、国家に飼われている。
酒浸りになるのも無理はない。
そしてシリーズが進むほど、カットニスとの関係は恋愛でも親子でもない、強い戦友関係へ変わっていった。
シナはさらに特別だった。
彼は衣装で戦った。
第2作ではモッキングジェイのドレス。
第3作では戦闘服。
自分の職業そのものを武器にして、カットニスを反乱の象徴へ変えた。
戦場へ出なくても、革命の先駆者にはなれる。
シナの反逆は、各地区の心へ巨大な燃料を投下した。
彼は反乱軍の強力な尖兵として記憶に残った。
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■ 第75回大会は政治的には悪手。でもそれがスノー政権の焦りでもある
カットニスを殺したい。
その目的だけなら、スノーにはもっと方法があったはず。
しかし第75回大会で過去の優勝者たちを再びゲームへ送った。
これは統治としてかなり危険。
勝者は本来、
「従えば富と名誉を得られる」
という国家の成功例だったはず。
それをもう一度死地へ送れば、
「勝っても約束は守られない」
と全国民へ知らせることになる。
さらに過去の勝者たちは互いに交流があり、首都への不満も持っている。
そこへカットニスまで入れる。
そりゃ団結する。
シリーズ作品として再びハンガー・ゲームをやる必要があった、というメタ的な事情はあるだろう。
ただ物語上では、スノー政権が焦り始め、判断を誤っていく様子としても成立していた。
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■ カットニスは「革命家」ではなく、最後まで巻き込まれた人
カットニスは最初から社会を変えたかったわけではない。
妹を守りたい。
ピータを助けたい。
家族と生きたい。
ほとんどの行動原理はそこから始まっている。
だから第3作でいきなり革命家として堂々と演説できないのも当然。
台本を読ませればダメ。
実際の戦場で怒らせれば、人を動かす。
彼女のカリスマは作られたものではなく、感情が本物であることから生まれる。
しかしそのカリスマを首都も反乱軍も利用する。
第1作では「悲恋の少女」。
第3作では「革命の少女」。
敵味方が違うだけで、どちらもカットニスという人間を政治的な商品へ変えようとしていた。
そして最後に彼女は、そのゲームそのものから降りる。
ここまで含めてカットニスの物語だった。
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■ 戦争には純粋な正義などない
完結編の中心はここ。
スノー側は当然として、反乱軍側だって大量に殺す。
報復だから正しい。
独裁政権を倒すためだから正しい。
犠牲は仕方ない。
そうやって戦争は合理化されていく。
ゲイルの考え方も、その象徴だった。
しかしカットニス自身も潔白ではない。
命令を無視し、スノーを自ら殺すため独断で動く。
仲間へ嘘をつく。
その結果、多くの人が死ぬ。
誰も完全な正義ではない。
戦争とは、最終的には勝った側の理屈が「正義」として残されていく。
だからこそコインが重要だった。
スノーを倒した。
これで終わり。
ではない。
コインは早々に、首都の子供たちを使った新しいハンガー・ゲームを提案する。
つまり、
独裁者を倒しただけでは、独裁は終わらない。
次のスノーが生まれる可能性がある。
だからカットニスはコインを射る。
スノーを倒すだけでなく、独裁そのものの再生産を止める。
あの一矢で、ようやく戦争が本当の意味で終わった。
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■ プリムの死――カットニスは何のために戦ったのか
シリーズ最初の行動は、プリムを守ることだった。
妹の代わりにゲームへ出る。
そのためにすべてが始まった。
ところが最後に、そのプリムが死ぬ。
しかも反乱軍側の作戦によって。
これはカットニスにとってあまりにも残酷。
国家は変わった。
独裁者は倒れた。
それでも彼女個人にとっては、
「結局私は何を守れたのか」
という問いが残る。
夜、プリムの猫が戻ってくる。
カットニスは叫ぶ。
プリムは死んだ。
猫へ言っているようで、自分自身へ現実を突きつけている。
このシリーズは最後まで、「革命が成功したから犠牲は全部報われました」と簡単には言わなかった。
そこは良かった。
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■ だからこそ、戦後の民主化と復興をもう少し見たかった
シリーズ最大の惜しいところ。
スノーとコインが死んだ。
その後ペイラーが大統領になり、カットニスにもやがて恩赦が出るだろうとプルタークから知らされる。
でも、
その民主主義、どうやって作ったの?
という疑問が残る。
パネムは75年も独裁体制だった。
選挙制度はどう作ったのか。
各地区の代表はどう選んだのか。
軍の指揮権は誰が持つのか。
旧スノー政権の官僚はどう処理したのか。
首都と各地区はどう和解したのか。
食料、電力、物流はどう復旧したのか。
現実の内戦後も、独裁政権を倒したから即座に民主国家になるわけではない。
むしろ、その後の統治が一番難しい。
だからこそ、ここはあと10分でもいい。
各地区の代表が集まる。
暫定政府ができる。
選挙制度が整う。
ペイラーが正式に選ばれる。
第12地区にも人が戻り、家が建ち、畑ができ、子供たちが普通に歩いている。
そんな描写が少しあれば、
カットニスたちが払った犠牲の先に何が残ったのか
が映像として確認できた。
ここまで丁寧に積み上げたシリーズだからこそ、最後の政治的な後始末だけ少し駆け足だったことが惜しい。
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■ 「Hunger=飢え」と、「勝者の人生」
『The Hunger Games』。
Hunger。
飢え。
これをシリーズ全体で考えると面白い。
各地区には文字通りの飢えがある。
食料。
物資。
医療。
安全。
自由。
一方、首都には別の飢えがある。
娯楽。
刺激。
贅沢。
より過激なショー。
スノーには支配への飢え。
コインには権力への飢え。
そして戦争が始まれば、人々には報復への飢えまで生まれていく。
そう考えると、最後にカットニスとピータが手に入れたものは、
「もう何かに飢え続けなくてもいい人生」
なのかもしれない。
エフィーは別れ際に、
「勝者の人生を見つけて」
と語る。
その言葉は少し回収不足にも感じた。
ただ、エピローグそのものが答えだったとも考えられる。
英雄にならなくていい。
政治家にならなくていい。
歴史に名前を残さなくていい。
家がある。
食べ物がある。
愛する人がいる。
子供が安全に育つ。
ハンガー・ゲームという「ゲーム」が存在しない世界で、普通に生きることができる。
それこそが、本当の勝者の人生だったのかもしれない。
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■ 最後には、やっぱりヘイミッチおじさんがいてほしかった
これは個人的にかなり惜しい。
数年後。
草原で子供と遊ぶピータ。
赤ちゃんを抱き、それを見守るカットニス。
幸せになれたことは分かる。
良かった。
でも、その少し後ろに、
老いたヘイミッチおじさんがいてほしかった。
家の前でもいい。
木陰でもいい。
椅子に座って、ちょっと離れたところから子供たちを眺めている。
台詞なんていらない。
それだけで、
カットニス。
ピータ。
ヘイミッチ。
この三人が戦後も家族のように生きてきたことが分かる。
ヘイミッチだって、人生のほとんどをハンガー・ゲームに奪われた人間。
彼にもまた、
「勝者の人生」
があってほしかった。
さらに背景に復興した第12地区まで見えていれば、
国家の再生と、三人の人生の再生。
その両方を一枚で回収できた。
そこまでやってくれれば、個人的にはかなり満点に近かったと思う。
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■ ジェニファー・ローレンスというカットニス
シリーズを通して、ジェニファー・ローレンスの配役はかなり良かった。
第1作ではまだ顔立ちにも幼さが残っている。
完成された兵士というより、狩りで家族を養ってきた普通の少女。
走り方など、純粋なアクション能力だけを見ると少しどんくさく見える部分もあった。
でも、そこが逆にカットニスには合っていた。
完全な戦士ではない。
狩人。
サバイバー。
女の子。
そして人を惹きつけるカリスマ。
この三つが不思議なくらい同居している。
シリーズ後半になるにつれ本人の面立ちも大人っぽくなり、戦争を経験したカットニスの変化と自然に重なっていく。
シナが残した黒い戦闘服も非常によく似合っていた。
露出がある衣装ではない。
それでもジェニファー・ローレンスの小顔、肩、腰、ヒップへ続く身体のラインが綺麗に出て、狩人としての格好良さと女性的な曲線が共存している。
どこか一部分だけが突出しているというより、全身のバランスから生まれるセクシーさ。
第1作のまだ若いカットニスから、第4作の大人の女性へ。
長期シリーズならではの俳優本人の成長も、作品の楽しさの一つだった。
プリム役の俳優も、第1作では本当に子供だった。
シリーズが進むにつれて身体は年相応に成長していくのに、顔立ちの印象はあまり変わらない。
こういう成長期の変化を実際の俳優とキャラクター双方で追えるのも、シリーズ映画ならではだと思う。
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■ シリーズ総評
個人的には、
面白かった。かなりよくできていた。
でも、
「めっちゃ面白かったぁー!! 何回でも観たい!」
というタイプではなかった。
これは作品の出来ではなく、完全に好みの話。
このシリーズは、熱狂して何度も観返すというより、
「この人物をこう使ったか」
「ここを省かず描いたのは上手い」
「この政治構造ならこうなる」
「ここはもう一段描いてほしかった」
と、設計の丁寧さを評価する作品だった。
小説原作の長編シリーズとしても、途中で世界を広げすぎて収拾がつかなくなる作品は多い。
デスゲーム、反乱ものは特に、最後が微妙だったり投げっぱなしになりがち。
その点、『ハンガー・ゲーム』はかなり最後までまとめている。
個人的には『メイズ・ランナー』よりも、シリーズ全体の着地はずっと綺麗だった。
第1作は世界と人物の構築。
第2作は反乱への転換とゲームの破壊。
第3作はプロパガンダ戦と反乱軍の形成。
第4作は戦争、権力、そして戦後へ。
途中でジャンルそのものが変わっているのに、最初に置いた人物やテーマが最後まで機能している。
惜しいのは、最後の民主化と各地区の復興をもう少し描かなかったこと。
そこまで見せてくれれば、カットニスたちが払った犠牲の先に生まれた世界まで、きちんと見届けられた。
それでも、
デスゲームから始まり、革命戦争まで広げ、それをきちんと終わらせた。
これだけでも十分に評価できるシリーズだったと思う。
突出した衝撃作ではない。
でも、とても丁寧で、バランスが良く、最後まで崩れなかった。
そして最終的な勝利とは、権力を握ることでも、歴史に名を残すことでもない。
誰かに利用されることなく、
愛する人と、
普通に暮らせること。
何かに飢え続けなくていいこと。
それがこの作品における、
「勝者の人生」
だったのかもしれない。
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