『ブレイド』三部作の個人的な感想・考察

 『ブレイド』三部作の個人的な感想・考察


『ブレイド』三部作(1998–2004・アメリカ)

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※1作目だけ劇場で観て以来。2作目3作目は初見。


① シリーズ概要

『ブレイド』シリーズは、半人半吸血鬼のダークヒーロー「ブレイド」を主人公としたアクション映画三部作。

母親が妊娠中に吸血鬼に噛まれたことで、人間としての昼間活動能力と、吸血鬼としての強靭な肉体を併せ持って生まれたブレイド。彼は血清を打つことで吸血衝動を抑えながら、吸血鬼を狩り続けている。

黒いロングコート、サングラス、刀、銀弾銃、魔改造ガジェット。そこへウェズリー・スナイプス本人の高い身体能力と格闘経験を組み合わせたことで、1998年公開の第1作は当時として非常に強いインパクトを残した。

とくに90年代末という時代を考えると、本作は「筋肉・銃・爆発」が中心だった従来のアメリカ型アクションから、武術・スピード・スタイル・近接戦闘を重視する2000年代型アクションへ移行する直前の作品として非常に興味深い。

翌年には『マトリックス』が登場し、その後『アンダーワールド』などにも繋がる、黒革・サングラス・スタイリッシュ格闘という映像的系譜の一端を確実に担った作品でもある。

ただし、三部作すべてを通して観ると、最大の問題は一貫して同じだった。

素材は非常に強い。
だが、その素材にシナリオとドラマが追いついていない。

これに尽きるシリーズだった。

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② 『ブレイド』(1998年)

【起】

母親が妊娠中に吸血鬼に襲われたことで、人間と吸血鬼双方の特徴を持って生まれたブレイド。

日光の下を歩ける一方、吸血鬼同様に血への衝動を持ち、血清によってそれを抑えている。

吸血鬼ハンターであるウィスラーと共に、人間社会へ潜伏する吸血鬼たちを狩り続けていた。

冒頭のクラブ襲撃から、黒いロングコート、サングラス、刀、銀弾銃、格闘、クラブミュージックという、本作独自の強烈なスタイルが一気に提示される。

【承】

吸血鬼社会では、古くから血統を維持してきた「純血種」が上位階級として君臨し、噛まれることで吸血鬼となった後天的な者たちは差別されていた。

その中で、後天的吸血鬼であるディーコン・フロストが、純血種中心の旧体制に反旗を翻す。

ここは非常に面白い設定だった。

人間対吸血鬼だけではなく、

純血種対後天的吸血鬼。

さらに、そのどちらにも完全には属さないブレイド。

三者の関係を掘れば、かなり厚い世界観を作れたはずだった。

しかし、純血種がなぜ特別なのか、身体能力や能力面でどれほど違うのか、吸血鬼社会でどのような権力構造を持っているのかが十分には描かれない。

結果、あれほど重要そうに提示された純血種が、フロスト一派によってあっさり制圧されてしまう。

「純血って、結局なんなん?」

という疑問が残る。

【転】

フロストは古代の吸血鬼信仰に関わる「血の神」を復活させようとする。

この血の神という設定も本来は非常に美味しい。

吸血鬼社会独自の信仰体系、古代神話、純血種との関係など、いくらでも掘れる。

しかし作中では積み上げが弱く、クライマックスになって突然重要な存在として提示されるため、

「そういう神様いたんだ」

という程度で終わってしまう。

さらにブレイドは、死んだと思っていた母親が吸血鬼として生きていたことを知る。

これは本来、ブレイドという人物の根幹を揺るがす出来事である。

母を殺した吸血鬼への復讐。

自分自身が吸血鬼の血を持つことへの嫌悪。

その母親自身が吸血鬼として生きていた。

「自分は何のために戦ってきたのか」

まで踏み込める重大なドラマなのに、この作品ではかなり短時間で処理される。

【結】

ブレイドはフロストを倒し、再び吸血鬼狩りへ戻っていく。

娯楽映画としては十分成立している。

しかしストーリー面では、設定の深さに対して掘り下げが圧倒的に足りない。

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③ 『ブレイド』1作目・アクション考察

本作最大の長所は、やはりウェズリー・スナイプス本人の身体能力。

空手、柔術をはじめ複数の格闘技経験を持ち、単なる俳優によるアクションではなく、本人自身がかなり動ける。

ただし、日本語圏の紹介でよくある、

「マーシャルアーツの達人!」

という表現には違和感がある。

martial artsという語彙そのものが間違いではないにしても、空手も柔術も剣術もすべて「マーシャルアーツ」で一括りにしてしまうと雑に感じる。

さらに「達人」とまで言えば、こちらとしては、

何流なのか。

何段なのか。

誰に師事したのか。

どこで昇段したのか。

という話になる。

ウェズリー・スナイプスは間違いなく武術経験豊富な熟練者であり、映画アクションへそれを活かせる俳優ではある。

だが「達人」は言い過ぎ。

この辺りは日本人として妙に厳しくなる。

格闘そのものは、空手や柔術などが複合され、詠春拳やジークンドー、近代CQCを思わせるハイブリッドな近接戦闘に仕上がっている。

銃、打撃、投げ、関節、武器への切り替えが一続きになっている点は、今観ても面白い。

ただし、

格闘技ができることと、映画の殺陣が上手いことは別問題。

本人が動けるから、一人で雑魚吸血鬼を蹴散らす場面は強い。

だが対人の殺陣になると、設計の弱さが目立つ。

とくに剣。

ここは三部作すべてを通して厳しい。

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④ 『ブレイド』シリーズの剣戟について

自分自身、剣を扱うため、剣戟に関してだけはどうしても厳しくなる。

剣は軽々しく振り回せば強く見える武器ではない。

重量がある。

刃筋を通さなければならない。

間合いがある。

一撃で致命傷になり得る。

だからこそ、剣を持つ者同士の戦いには、

相手の呼吸。

重心。

視線。

起こり。

踏み込みの兆し。

そのすべてを読み合う時間が必要になる。

緊張感の正体は、「気」のぶつかり合い。

動いていない時間から、すでに戦いは始まっている。

だが『ブレイド』の剣戟は、全体としてスタイリッシュさを優先しすぎている。

とくに第1作終盤の剣同士の戦いは、

右。

左。

右。

左。

相手が来る予定の場所へ手首で剣を返し、互いに合わせているだけ。

これは太刀筋ではない。

「申し合わせました、合わせました」が見えてしまう。

剣を高速でカンカン打ち合わせれば派手にはなる。

しかしそれをやりすぎるほど、

「この武器、本当に怖いのか?」

となる。

本来、拳よりはるかに危険な刃物武器なのに、軽々しく扱うことで剣の脅威そのものを落としてしまう。

三部作通して、刀はブレイドのキャラクターデザインとしては大成功。

しかし剣戟としては最後まで解釈が合わなかった。

これはもう技量以前に、

「剣を何として見せたいのか」

という思想の違いだと思う。

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⑤ 吸血鬼の死に方のルール不足

第1作で非常に気になったのが、吸血鬼の死亡表現の統一性のなさ。

冒頭では、

斬られる。

発火する。

灰になる。

という非常に分かりやすいルールが提示される。

ところが日光を浴びた純血種は、

皮膚が崩れる。

どろどろに溶ける。

燃える。

最後に爆発。

その後も燃えたり、灰になったり、崩れたり、爆ぜたり。

映像としては面白い。

当時としては吸血鬼の消滅表現に新鮮味があった。

ただし世界観としては法則がない。

日光。

銀。

杭。

せいぜいこの三系統で死に方を分け、最後は灰化へ収束させる程度でよかったと思う。

怪物映画において、

「どうすれば死ぬのか」

は、その世界の物理法則そのもの。

ここが安定しないと、吸血鬼という怪物そのものの存在感も薄くなる。

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⑥ 『ブレイド2』(2002年)

【起】

ブレイドは、吸血鬼となっていたウィスラーを救出する。

序盤の救出戦はかなり良い。

モブ側にも格闘できる人材が配置され、立ち回りの質は第1作より上がっている。

しかし一方で、吸血鬼としての身体スペックが場面によって不安定。

戦闘に入れば強いのに、逃亡場面では普通の人間のように梯子から降りたり、バタバタ逃げ回ったりする。

吸血鬼なら、

高所から飛び降りる。

人間なら骨折する衝撃から平然と立ち上がる。

暗闇で異常な速さで移動する。

そういった「戦闘以外の身体能力」でも、人間との差を常時見せる必要がある。

それがないと、ただの格闘できる人間集団に見えてしまう。

【承】

吸血鬼をも捕食する新種「リーパー」が出現。

感染した個体はゾンビ的な群体脅威を持ちながら、ゾンビ以上の身体能力と怪物性を持つ。

ここは非常に良かった。

裂ける顎。

異常な生命力。

吸血鬼まで捕食する捕食者。

「吸血鬼より上位の怪物」というコンセプトが、視覚的にも明確。

だからこそ、その比較対象となる普通の吸血鬼たちが、あまりにも普通に見えてしまう。

【転】

ブレイドは、彼を殺すために編成された精鋭吸血鬼部隊「ブラッドパック」と共闘する。

しかしこの部隊が、登場時から小者感が強い。

挑発。

イキり。

内輪揉め。

ブレイドを殺すために訓練された精鋭なら、

「こいつらなら本当にブレイドを殺せるかもしれない」

という圧が欲しかった。

さらにドニー・イェンという非常に動ける人材まで配置されている。

それなのに、彼をどういう戦闘者として見せるのか、アクション設計側が活かしきれていない。

ここも非常にもったいない。

【結】

リーパーの正体は、吸血鬼王ダマスキノスが、吸血鬼の弱点を克服するために作り出した存在だった。

ここで世界観が大きく崩れる。

第1作では「12人の純血種」が吸血鬼社会の重要な支配階級として描かれていた。

ところが第2作では、突然巨大な吸血鬼王国と王ダマスキノスが登場する。

では第1作の12人は何だったのか。

アメリカ支部なのか。

地域評議会なのか。

独立家門なのか。

ダマスキノス王国との関係は。

説明がない。

しかも第1作ではフロストが純血種を大量に生贄にし、血の神を復活させようとしている。

吸血鬼社会にとって超重大事件のはず。

そのとき王様は何をしていたのか。

王様、前作の大事件のとき何してたん?

という疑問が残る。

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⑦ ダマスキノスと「純血ってなんなん?」

ダマスキノス本人も弱い。

吸血鬼王。

古代から続く純血の頂点。

そういう存在として登場するのに、

圧倒的な身体能力があるわけでもない。

特殊能力があるわけでもない。

ブレイドと戦えるわけでもない。

ただ長生きして権力を持つ老人にしか見えない。

ここまで第1作から「純血」という言葉を特別視してきたのに、

純血であることの強さが最後まで見えない。

戦わなくてもいい。

ブレイドの手首を片手で止める。

一瞬で背後へ移動する。

傷が異常な速さで塞がる。

下位吸血鬼が本能的に頭を下げる。

何か一つでも、

「これは普通の吸血鬼とは違う」

という描写が欲しかった。

そしてダマスキノスの血液が緑色に見える点も、説明がないため余計に世界観を不安定にする。

特殊な血統表現なのか。

単なる映像演出なのか。

それまで普通に赤い血を流していた吸血鬼との整合はどうなっているのか。

シリーズ物では、こうした小さな法則の積み重ねが重要。

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⑧ 『ブレイド2』とVFXアクション

第2作では、2002年らしく映像技術が大幅に増えている。

ただし、自分はそもそもVFX格闘アクションがあまり好きではない。

日本の特撮。

時代劇。

近代なら坂元裕吾監督作品など。

役者やアクターが本当にその場で動き、距離、重心、反応、攻防の因果が見えるアクションが好き。

VFXそのものを否定するつもりはない。

必要なら使えばいい。

ただし、

VFXでしかできないことに使うべき。

本人たちが十分動けるのに、速度を加工し、身体軌道を不自然に変え、CG的な挙動を足せば、本来持っていた身体性が薄くなる。

第2作のブレイド対ニッサたちの戦闘は、素材となる格闘そのものは良い。

しかし映像演出が上から被さりすぎて、

「本当に戦っている人間」ではなく「作られたアクション」

に見えてしまう。

『マトリックス』なら、バレットタイムなど独自のカメラワークが作品そのものの武器になった。

では『ブレイド2』は。

そう問われると、VFXアクション自体にこの作品固有の意味がない。

結果、

技術は進歩した。
派手さも増した。
しかし独自性は薄れた。

第1作が持っていた荒々しい身体性から、2000年代型の量産アクションへ近づいてしまった。

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⑨ ノーマックという「使わなかった最高の素材」

第2作で最も惜しい人物はノーマック。

ダマスキノスによって作られ、失敗作として切り捨てられた存在。

一方ブレイドも、自分の意思とは関係なく半吸血鬼として生まれた。

二人は別物。

だが、

どちらも例外的な存在として生まれ、周囲から利用されてきた。

という共通点がある。

ノーマックは、ブレイドの鏡像になれた。

さらにニッサは父親を信じる娘。

ノーマックは父親に捨てられた息子。

ブレイドは父親不在の混血児。

この三人を中心にすれば、

血縁。

創造主と被造物。

家族。

怪物性。

自分は何者なのか。

かなり陰鬱で濃いダークヒーロー映画にできた。

だがそこを掘らない。

ノーマックは怪物ボスとして処理される。

ここもシリーズ共通の問題。

「そこを掘れば一気に深くなる」

という場所が見えているのに、次のアクションへ行ってしまう。

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⑩ 日本・アジア表現の雑さ

シリーズを通して、日本やアジア文化への興味はかなり感じる。

だが理解は雑。

第1作のアジア系吸血鬼クラブにいるJK風ダンサー。

第2作でドニー・イェンを配置しながら、日本的な装備を持たせる。

刀。

漢字。

女子高生風衣装。

アジア人。

武術。

地下クラブ。

これらが全部ひとまとめになった、

「アジアン・クール」

という記号に見える。

日本人側からすると、

「いや、それ日本じゃない」

「なぜそこにそれを置く?」

という場面が多い。

リスペクトよりも、雑な記号化に見えてしまう。

同時代の『キル・ビル』も個人的には日本文化の解釈が大きく合わない。

様式美として意図的に誇張しているのは理解できる。

だが日本刀、日本文化、殺陣の文法という目線で見ると、かなり別物。

ここはもう好みというより、解釈の違い。

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⑪ ノーマン・リーダスという掘り出し物

第2作で作品内容とはまったく関係ないところで大きな発見があった。

ブレイドがウィスラーを救出して拠点へ戻った直後。

溶接している若者。

ノーマン・リーダス!?

若い。

まだ若僧。

髪の色も濃い。

そして驚くほど仕草や挙動が後年と変わっていない。

タバコの吸い方など、『ウォーキング・デッド』のダリルそのまま。

右手には、後年見慣れたタトゥーもない。

声も若く、高い。

『ウォーキング・デッド』時代の低くザラついた声とはかなり印象が違う。

旧作を観ていると、こういう「後年有名になった俳優の若い頃」を偶然発見できる。

これは旧作鑑賞の大きな楽しみの一つ。

そしてスカッドは、予想通り裏切り者。

最後は、

ボーン!

と散っていった。

作品評価とはまったく別のところで、とても良い掘り出し物案件だった。

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⑫ 『ブレイド3』(2004年)

【起】

第3作は、三部作の中では良くも悪くも一番落ち着いている。

全体のバランスはシリーズでもっともまとまっている。

ブレイドは吸血鬼側の策略によって、人間を殺害した犯罪者として警察・FBIに追われる。

最初は、

「今さら表社会から狙われるの?」

という疑問が浮かぶ。

第1作から吸血鬼と人間社会は一定程度結託している。

ブレイドの存在も黙認されてきた。

しかし、その背後に吸血鬼側の工作があることが明らかになり、筋自体は通る。

ただし、

「それ、もっと早くやれたよね?」

ともなる。

ブレイドを追い詰めるなら、吸血鬼を正面から送り込むより、ファミリアや人間社会を利用して公権力を動かす方が合理的。

三作目になってようやく使った戦術という印象もある。

【承】

ウィスラーは死亡。

これは当然、シリーズ最大級の感情的事件になるはず。

しかし、あまりにもあっさりしている。

ブレイド自身も、ほとんど立ち止まらない。

ここまで三作通して観ると、シリーズ最大の弱点がはっきりする。

出来事は大きい。
だが、その出来事を人物の内面へ沈める時間を取らない。

母親。

ノーマック。

ウィスラー。

どれもブレイドの人格を大きく変え得る存在。

しかし全部イベントとして通過する。

その後、ウィスラーの娘アビゲイルを含む新たなハンター集団と共闘する。

「実は娘がいた」という設定はかなりありふれている。

ただし、第2作の世界観拡張ほど無理はなく、セオリーとして受け入れられる範囲。

【転】

第3作ではついに「ドラキュラ」が登場。

ただし作中のドレイクは4000年以上前から存在する吸血鬼の始祖。

そうなると西暦以前。

ワラキア公国も。

ヴラド3世も。

ブラム・ストーカーも。

何も関係ない。

それはドラキュラではない、な!!

とはなる。

ただし、

「後世に様々な名で呼ばれ、その一つがドラキュラだった始祖」

として飲み込むなら、吸血鬼の元祖という設定自体は理解できる。

第2作の遺伝子操作による新種開発より、

始祖の血液から太陽への耐性を得ようとする

という方が、吸血鬼ものとしてはまだ自然。

血。

血統。

始祖。

純血。

シリーズが本来持っていた語彙にも戻っている。

【結】

吸血鬼を根絶するためのウイルス兵器「デイスター」が完成し、ドレイクへ使用される。

その結果、その場の吸血鬼たちは一掃される。

ドレイクは死の間際、ブレイドの姿へ変身し、当局にブレイドが死んだと思わせる。

敵ながら、ブレイドという存在への一種の敬意を示した最後。

これはアイデアとしては悪くない。

ただし、ここでもドラマの積み重ねが薄い。

ドレイクとブレイドの関係性をもっと深く描いていれば、かなり熱いラストになれた。

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⑬ 血液工場と「絵としては良いが運用が雑」

第3作の血液工場は、視覚的インパクトが強い。

大量の人間が吊られ、吸血鬼社会のための血液供給源として利用されている。

人間を完全に家畜化しているという絵としては良い。

ただし、運用を考えるとかなり雑。

あのように身体をぴっちり包めば、

発汗。

体温調節。

皮膚状態。

排泄。

感染。

栄養。

褥瘡。

循環。

あらゆる問題が起きる。

さらにホームレスを拉致してきた設定なのに、服装までホームレス時代のまま。

長期間管理する施設には見えない。

全員同じ検査着に着替えさせる。

識別番号を付ける。

ラインごとに管理する。

そうした方がむしろ、

「これは本当に産業化された人間牧場なんだ」

という恐怖が増したと思う。

『ブレイド』シリーズは、このように一発の絵としては強いが、システムとして考えると穴が見える場面が非常に多い。

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⑭ 『ブレイド3』のアクション

第3作のアクションは、第2作よりかなり良い。

過剰なVFX格闘を減らし、

役者本人が動く部分。

吸血鬼だから可能な超常動作。

アクション演出。

この三つを比較的きちんと分けている。

ドレイクとブレイドの追跡。

ラストバトル。

どちらも第2作ほど加工が身体性を食っていない。

殺陣そのものには未熟さがある。

剣については相変わらず辛口。

ただし映像としての安定感は三作で一番高い。

一方、2004年になると本格的なアクション映画はすでに多数存在する。

そのため、

「ブレイドだからこれが見られる」

という独自性は薄れている。

第1作は荒削りだが新しかった。

第3作はまとまっているが平凡。

良くも悪くも、

感想があまり出てこない程度には普通。

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⑮ ガジェットの変化と、1作目の魔改造武器

三作を通して様々な対吸血鬼ガジェットが登場する。

しかし個人的に一番ぐっと来たのは、第1作の魔改造銃。

9mm系のイングラム型短機関銃をベースに、長いマガジンを付け、銀弾を大量に撃ち込めるようにした武器。

これが良い。

小型。

取り回しが良い。

格闘の邪魔になりにくい。

片手運用もしやすい。

吸血鬼は頑丈なので、銀弾を短時間で大量に撃ち込める。

「なぜブレイドがこれを使うのか」

が見える。

こういう粗っぽい現場改造の方がリアリティがある。

ウィスラーが地下の工房で、

「また壊しやがって」

と文句を言いながら改修していそうな油臭さ。

それがブレイドには似合う。

ところが第3作になると、武器がだんだん「映画用の空想兵器」に寄っていく。

デザイン先行。

未来的。

格好いい。

だが、

「現場で何が必要だったから、この形になったのか」

が見えない。

すると玩具っぽくなる。

ブレイドはSFヒーローではない。

既製品を魔改造して、吸血鬼狩りに最適化していく。

その方が遥かに似合っている。

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⑯ 三部作に足りなかった「旅の蓄積」

ブレイドというキャラクターは、本来シリーズ物と非常に相性が良い。

世界中に吸血鬼がいる。

なら世界中へ行ける。

土地ごとに信仰が違う。

怪物伝承が違う。

祓い方が違う。

吸血鬼社会の文化も違う。

そのたびに、

出会い。

共闘。

対立。

別れ。

死。

そうした経験を積み重ねられる。

そして最後にいつもブレイドだけが残る。

それでもブレイドは歩き続ける。
散っていった仲間たちの想いを胸に。

たったこれだけでも、シリーズの背骨になる。

本人は相変わらず無口。

黒いコート。

サングラス。

刀。

外から見れば変わらない。

でも装備が少しずつ変わる。

過去作で死んだ仲間から教わった素材が武器に加わる。

ある土地の祓魔師から受け継いだ小瓶が装備にぶら下がる。

前作の敵が強すぎて、治りきらなかった傷が顔に残る。

ブレイドの肉体そのものにも旅の記憶が刻まれる。

説明はいらない。

観客だけが、

「あの傷だ」

「あの装備だ」

と分かればいい。

そうやって積み上げれば、同じ無口なブレイドでも、一作目と最終作ではまったく違う人物になる。

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⑰ 理想のブレイド――世界を旅するダークヒーロー

ブレイドの設定なら、何本でも作れる。

エルサレム編

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教というアブラハム系三宗教にとって重要な聖地。

その地下深くに、第1作で触れられた「血の神」に関係する存在が封印されている。

ついに吸血鬼勢力が壁の内側まで侵食してきた。

なぜか。

その封印を利用するため。

人間側の宗教者。

古い吸血鬼勢力。

血の神を復活させたい新興勢力。

宗教そのものに距離を置くブレイド。

信仰と怪物。

神話と現実。

ここまでいけば、第1作で投げっぱなしになった吸血鬼側の宗教観まで回収できる。

メキシコ編

炎天下。

土埃。

色褪せた街。

その中を、いつもの黒いロングコートとサングラスで歩くブレイド。

暑そう。

だが、それ自体が絵になる。

しかも強烈な日差しの中では、デイウォーカーという能力そのものが舞台装置になる。

普通の吸血鬼は動けない。

ブレイドだけが白昼を歩ける。

その後ろを、深々とフードを被った白人がついてくる。

顔色が異様に悪い。

唇まで青白い。

牙が見える。

人間ではない。

ブレイドは無言で路地へ入る。

廃墟となった建物。

振り返らない。

相手も止まる。

呼吸。

重心。

視線。

起こり。

気の読み合い。

一瞬の静寂。

そこから一気に戦闘。

ブレイドの蹴り一撃で、吸血鬼があり得ない距離を吹っ飛ぶ。

どんがらがっしゃん。

だが、何事もなかったように瓦礫から立ち上がる。

ここで、

「こいつは人間じゃない」

という怪物らしさを見せる。

銀弾。

魔改造ガジェット。

手裏剣。

杭。

そして最後だけ刀。

刀はずっと振らない。

最後の切り札。

構える。

間合いを測る。

相手も警戒する。

一閃。

一拍遅れて吸血鬼が灰になる。

これで剣の脅威も出る。

さらにメキシコなら、土着信仰とキリスト教が混ざった独自の祓魔や民間信仰を戦略へ組み込める。

ブレイドの科学的・工学的な武器。

現地の祈祷。

植物。

護符。

儀式。

最初は信じない。

しかし効く。

その経験が次作のガジェットへ受け継がれていく。

こうして旅そのものが、ブレイドの戦闘スタイルを変えていく。

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⑱ 吸血鬼との共闘もできる

ブレイドは、人間にも吸血鬼にも完全には属さない。

だからこそ、

「吸血鬼とは何か」

という問いをもっと掘れた。

世界中を旅する中で、人間を襲わず共存してきた吸血鬼一族と出会う。

ブレイドは当然信用しない。

「吸血鬼は全部狩る」

というのが、それまでの彼。

しかし、もっと危険な古代種を倒すために共闘する。

そこで初めて、

「怪物とは血なのか」

「それとも行為なのか」

という自分自身の価値観が揺れる。

本人も半吸血鬼なのだから、このテーマは非常に相性が良い。

シリーズ後半で、最終的にブレイドが、

「吸血鬼だから殺す」

ではなく、

「お前が何をしてきたか知っている。だから俺がお前を狩る」

という人物になっていれば、大きな成長になる。

外見は変わらない。

でも中身は違う。

それこそダークヒーローの積み重ねだと思う。

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⑲ 子連れ、集団、孤独――いくらでも変化を作れた

ブレイドは一匹狼だからこそ、同行者を変えるだけで毎回違うドラマを作れる。

あるときは子連れ。

最初は、

「ついてくるな」

「足手まといだ」

と拒絶する。

しかし、いつの間にか歩く速度を子どもに合わせている。

最後に別れる。

次作、子どもからもらった小さな物が装備に付いている。

説明しない。

それでいい。

あるときは大集団。

十数人のハンターと共闘する。

一人で戦う癖が抜けず、連携できない。

少しずつ仲間との戦い方を覚える。

しかし終盤で集団は壊滅。

次作、またブレイドは一人。

なのに戦闘中、以前ならしなかった「味方がいる前提の動き」を一瞬だけする。

もう味方はいないのに。

こういう小さな描写で、旅の記憶は積み重なる。

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⑳ シリーズ最大の問題――ドラマがない

三作すべてを観終わって、最終的にこれに尽きる。

ドラマが薄い。

心理描写。

葛藤。

喪失。

関係性。

積み重ね。

それらが圧倒的に足りない。

第1作。

母親が生きていた。

第2作。

ノーマックという鏡像がいた。

第3作。

ウィスラーが死んだ。

どれもブレイドという人物を大きく変え得る。

だが変わらない。

出来事だけが通過していく。

だから三作目の最後で、

「ブレイドの戦いはまだまだ続く」

という王道エピローグをやっても熱くならない。

こういう終幕は、そこまでのドラマがあって初めて成立する。

仲間を失った。

傷を負った。

何度も迷った。

憎しみに飲まれた。

それでも再び立ち上がった。

その積み重ねがあって、

「それでも彼は歩き続ける」

なら熱い。

だが積み重ねがない状態でやれば、

単に、

「続きます」

で終わる。

そしてそこで作品の中身の薄さが露呈する。

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㉑ 1作目だけが強く残る理由

第1作が今でも強く記憶に残る理由は、シナリオではない。

インパクト。

これがすべて。

黒いロングコート。

サングラス。

刀。

銃。

銀弾。

魔改造ガジェット。

クラブミュージック。

黒人のデイウォーカー。

ウェズリー・スナイプス本人の身体能力。

当時としては新しかった。

それだけで映画として成立するほど新しかった。

だから第1作は、映像時代が変わる直前の作品として価値がある。

しかし第2作、第3作になると、その新しさは当然薄れる。

そこで本来シリーズを支えるべきものが、

ドラマ。

だった。

ところがドラマを積まなかった。

第2作は派手になった。

第3作はまとまった。

しかしどちらも、

「ブレイドだからこそ観たい」

という独自の強さを増やせなかった。

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㉒ 「歴史に残る作品」と「名作」は違う

ここは最終評価として重要。

第1作『ブレイド』は、間違いなく歴史的に意味のある作品。

1998年という時代に、あのスタイルを提示した。

その後の2000年代型アクションへ繋がる要素も多い。

映像時代の狭間を見る作品として価値がある。

観る価値はある。

影響力もある。

インパクトもある。

しかし、

「名作か?」

と聞かれれば、個人的には違う。

シナリオが普通。

人物ドラマも普通。

心理描写も薄い。

世界観の整合も甘い。

設定の使い方も雑。

面白いかと言われれば、面白い。

ただしその面白さは、

アクション。

ビジュアル。

スタイル。

そこに大きく依存している。

シナリオとして特別に面白いかと言えば、

別段そんなことはない。普通。

そして作品が、

「普通だよ」

になってしまった時点で、名作には届かない。

歴史に残る重要作。

だが名作ではない。

この線引きになる。

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㉓ 三部作それぞれの評価

『ブレイド』

三作の中で最も荒削り。

だが最も独自性が強い。

映像的インパクト。

主人公造形。

身体アクション。

時代を切り開いたという意味では、三作中もっとも価値がある。

一方、純血種、吸血鬼信仰、母親、フロストなど、ドラマへ繋げられる要素をほとんど掘らない。

粗いが芯はある。

『ブレイド2』

三作の中でもっとも派手。

映像技術も進歩。

格闘できる人材も増えた。

リーパーという新怪物も良い。

しかし世界観の後付けが雑。

第1作の純血種設定とダマスキノス王国が噛み合わない。

VFXアクションも、本人たちの身体性を削る場面がある。

ノーマックという最高のドラマ素材も掘らない。

豪華だが芯が薄くなった。

『ブレイド3』

三作でもっともまとまっている。

過剰なVFXを抑え、アクションも安定。

第2作より吸血鬼ものらしい血統・始祖設定へ戻った。

ただし新鮮味がない。

ドラキュラの扱いもかなり独自解釈。

ウィスラーの死も薄い。

終幕も感情的な蓄積が足りない。

まとまっているが、平凡。

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㉔ 最終総評

『ブレイド』三部作は、非常に惜しいシリーズだった。

素材は強い。

本当に強い。

黒人の半吸血鬼ダークヒーロー。

デイウォーカー。

黒いロングコート。

サングラス。

刀。

銃。

魔改造ガジェット。

吸血鬼社会。

純血種。

血の神。

世界中へ広げられる怪物伝承。

本人自身の吸血衝動。

人間にも吸血鬼にも完全には属さない孤独。

これだけある。

だから改善案もいくらでも出る。

エルサレム。

メキシコ。

土着信仰。

宗教との対立。

吸血鬼との共闘。

子連れ。

集団戦。

仲間の死。

身体に残る傷。

装備に残る旅の記憶。

散っていった仲間たちの想い。

しかし、ここまで改善案を出していくと、もはやそれは実際の『ブレイド』ではなくなる。

自分たちが再設計した別のブレイドになる。

そこまで離れないとドラマが厚くならない。

つまり、それだけ本編のシナリオ設計の穴が根本的だったということ。

これが最終的な答えだと思う。

『ブレイド』というキャラクターは強烈に残る。

だが、

「ブレイドの物語」

はあまり残らない。

これが三部作最大の弱点。

そして剣戟については最後まで厳しい。

どれだけ訓練しても、

剣の目的。

重さ。

間合い。

刃筋。

一撃の脅威。

動く前の気。

そこを見失ったままなら、剣戟の剣戟たるものにはならない。

刀は格好いい。

ブレイドにも似合う。

しかし、

刀を持ったブレイドが格好いいことと、剣戟として優れていることは別。

ここは最後まで解釈違い。

総じて、

第1作は時代を切り開いた重要作。
シリーズは娯楽作品として十分観られる。
だが、強力な素材にドラマと設計が追いつかなかった。
歴史には残る。
しかし個人的には、名作とは呼ばない。

――これが『ブレイド』三部作を通して観終えた最終評価となった。


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