『ボーダー 二つの世界』の個人的な感想
『ボーダー二つの世界』の個人的な感想
①『ボーダー 二つの世界』(2018年・スウェーデン/デンマーク・監督:アリ・アッバシ)
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②あらすじ
【起】
ティーナは、独特な容貌と驚異的な嗅覚を持つ女性。
空港の税関職員として働き、人間が隠している物だけでなく、恐怖や羞恥、罪悪感といった感情すら匂いから読み取ることができる。
その能力は職場でも正当に評価されており、同僚との関係も悪くない。
郊外の自然豊かな場所で暮らし、近所付き合いもあり、友人もいる。
幼少期には容貌のためにいじめられた経験を持っているものの、現在のティーナは社会から完全に孤立しているわけではなく、きちんと人間社会の中で生活していた。
しかし、どこか奇妙なところがある。
犬たちは異常なほどティーナに吠える。
彼女自身も都会より森や湖などの自然に強く惹かれ、全裸で湖を泳ぐ姿には、人間社会から解放されたような野性的な雰囲気がある。
身体には過去の手術を思わせる痕跡も残されている。
「特殊な能力を持った人間なのか?」
「何か別の存在なのか?」
序盤から、小さな違和感が少しずつ積み重ねられていく。
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【承】
そんなティーナの前に、ヴォーレという男が現れる。
その容貌はティーナと驚くほど似ている。
さらに、ティーナと同じような嗅覚を持ち、動物を威圧するような不思議な力まで見せる。
ここでティーナは、自分とヴォーレが単なる「よく似た身体的特徴を持つ人間」ではないことを知っていく。
そして明らかになる真実。
二人は人間ではない。
北欧伝承に語られてきた存在――トロールだった。
ティーナは幼い頃から自分を人間だと思って育ってきた。
しかし実際には、人間社会の中でトロールとしての身体的特徴を矯正され、自分の出自さえ知らされないまま育てられていた。
ヴォーレとの出会いによって、ティーナの中で抑え込まれていた本来の感覚と本能が目覚めていく。
森を走り、自然の中で生き、ヴォーレと関係を持つ。
これまで「人間として生きること」しか知らなかったティーナに、初めて同族として生きる可能性が提示される。
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【転】
しかし、ヴォーレは単なる同族ではなかった。
彼は過去に人間から受けた迫害を深く憎み、その憎しみを人間社会への報復へと変えていた。
さらに、ティーナが捜査に協力していた犯罪にもヴォーレが関わっていたことが明らかになる。
ヴォーレはトロール特有の生殖形態を利用し、人間社会に対して復讐を行っていた。
ここで物語は、単純な「人間に迫害されたトロール」という構図から離れていく。
確かに、人間側はトロールに対して非人道的な扱いをしてきた。
ティーナ自身もその被害者だった。
しかし、だからといって無関係な人間を傷つけてよい理由にはならない。
ヴォーレはティーナに、同族として人間社会を捨て、自分とともに生きることを求める。
だがティーナは答える。
「誰も傷つけたくない」
彼女は人間社会を全面的に肯定することも、ヴォーレの復讐を肯定することもしなかった。
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【結】
ティーナはヴォーレを警察へ引き渡す。
しかし同時に、自分を偽り続けてきた人間社会へそのまま戻ることもしない。
同族だからという理由だけでトロール側へ行くことも拒む。
ティーナは、人間とトロールという二つの世界のどちらにも自分を完全には属させず、自分自身の倫理に従って生きることを選ぶ。
やがて、フィンランドから一つの荷物が届く。
その中にいたのは、ヴォーレとの間に生まれたティーナの子供だった。
人間社会へ戻るのか。
トロールとして育てるのか。
あるいは、そのどちらでもない第三の生き方を子供に与えるのか。
映画は答えを明示しない。
しかし、自分自身が出自を知らされず、選択肢を奪われて育ったティーナだからこそ、この子には自分とは違う人生を与えるのではないか。
そんな希望を残して物語は終わる。
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③考察・感想・まとめ
前情報をほとんど入れずに観たので、序盤は非常に面白かった。
まずティーナが何者なのか分からない。
独特な容貌を持ち、驚異的な嗅覚を備えている。
しかし超能力者ものとも違う。
犬から異常に警戒され、自然の中では妙に生き生きとしている。
身体にも不可解な痕跡がある。
そこへ、自分とよく似たヴォーレが現れる。
最初は「同じ身体的特徴を持った能力者なのか?」と思う。
ところがヴォーレが犬を威圧したあたりから、
「あ、この二人は人間ではないな」
という感覚が強くなる。
そして比較的早い段階で明らかになる答えが、まさかのトロール。
ここは驚いた。
しかし、この映画が非常に巧いのは、トロールであること自体を最後の大どんでん返しにしなかったことだった。
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この作品の本当の問いは、
「ティーナは何者なのか?」
ではない。
正体が分かったところから、
「自分が何者なのかを知ったティーナは、どう生きるのか?」
へと物語が移っていく。
そして何より良かったのが、ティーナとヴォーレの対比。
ヴォーレは人間から迫害され、その経験によって人間を憎んでいる。
トロールとしての本能を抑えず、自然の中で生き、人間社会に対して報復する。
一方のティーナは、出自を隠され、人間社会に適応させられてきた。
しかし彼女には、人間社会で得たものもある。
仕事では能力を正しく評価されている。
同僚との関係も悪くない。
友人もいる。
そして何より、育ての父親から愛情を受けていた。
父親の行為には大きな問題がある。
ティーナの出自を隠し、身体まで人間社会へ適応させてしまった。
それは明らかにティーナの尊厳を奪う行為でもある。
しかし同時に、父親はティーナを娘として愛していた。
ここを単純な悪人にしなかったことが、とても重要だったと思う。
もしティーナが人間から一度も愛されたことがなかったなら、おそらくヴォーレの側へ行っていた。
人間を憎み、同族とともに生きる道を選んでも不思議ではない。
しかしティーナは、人間の醜さだけでなく、人間から与えられた愛情も知っていた。
だから、
「人間はトロールを傷つけた」
という事実から、
「だから人間はすべて悪である」
とは結論づけなかった。
逆に、ヴォーレについても単純な被害者として扱わない。
ヴォーレが人間を憎む理由は理解できる。
人間側がトロールに対して行ってきたことを考えれば、その怒り自体には十分な理由がある。
しかし、自分が傷つけられたことを理由に無関係な者を傷つければ、その時点でヴォーレ自身も加害者になる。
ティーナはそこをはっきり区別した。
同族だから味方するのではない。
人間だから守るのでもない。
行為そのものを見て判断する。
そして、
「誰も傷つけたくない」
という結論に辿り着く。
このティーナの倫理観が、本当に美しかった。
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この作品で「ヒトとは誰か?」と問われたなら、私はティーナこそがヒトだったと思う。
生物学的には、彼女はヒトではない。
トロールである。
しかしヴォーレも人間たちも、被害と加害の両面を持ち、倫理的には大きく屈折している。
ヴォーレは被害者でありながら加害者になった。
人間側も、自分たちとは違う存在であるという理由で、トロールを倫理の対象から外してきた。
その中でティーナだけが、自分自身も傷つけられてきたにもかかわらず、
「自分が被害者だから他者を傷つけてもいい」
とは考えなかった。
人間社会へ従属する道も選ばない。
トロール側の復讐へ参加する道も選ばない。
どちらにも属さず、自分自身で第三の道を作る。
だからこそ私は、ティーナこそがこの作品でもっとも「ヒト」だったと思う。
他者の痛みを理解し、自分の傷を加害の免罪符にせず、葛藤の中でも道徳的な選択をする。
その精神こそ、人間が「人間らしさ」と呼んできたものなのではないか。
そして、この作品はトロールを単なる比喩として使って終わらない。
生物としての設計もかなり丁寧だった。
尻尾がある。
嗅覚が極端に優れている。
人間以上の身体能力を持ち、動物を威圧することができる。
外見的には人間と非常によく似ていて、人間社会の医学では身体的特徴や染色体上の異常として処理されてしまうほど近い。
しかし生殖形態は明確に異なっている。
人間の外見的な男女分類と、トロールとしての生殖上の性が一致しない。
そして人間とは交配できない。
つまり、どれほど人間に近くても、やはり別種の生物として描かれている。
その一方で知能や情緒は人間とほぼ同等。
愛情も怒りも嫉妬も悲しみも理解できる。
だからこそ、この物語が成立する。
単なる怪物なら、ここまで深い倫理劇にはならない。
人間とほぼ同等の精神を持ちながら、生物学的には人間ではない。
その絶妙な距離感が、「人間とは何か?」という問いを成立させている。
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人間側も興味深い。
どうやらトロールの存在を全く知らなかったわけではなく、一部の人間は古くからその存在を把握していたらしい。
しかし公にはされず、人間ではないという理由で、通常なら許されない扱いまで行われてきた。
ここに非常に嫌なリアリティがある。
相手が人間と同じように考え、苦しみ、愛する存在であっても、
「人間ではない」
と分類した瞬間に倫理の外へ追い出してしまう。
歴史上、人間が何度も繰り返してきた構造にも重なる。
けれども作品は、だから人間だけが悪だとはしない。
ヴォーレもまた同じ過ちを繰り返してしまう。
「相手は敵だから、傷つけてもいい」
という考えに陥った時点で、ヴォーレと人間側は鏡写しになる。
その双方を拒絶したのがティーナだった。
ヴォーレの犯罪について、実際にどうやって人間社会のセキュリティを突破し、実行していたのかという具体的な手口はほとんど描かれていない。
そこだけは説明が省略されている。
ただし、これは大きな穴とは感じなかった。
ヴォーレには人間を上回る身体能力があり、嗅覚も優れ、人間社会へ長期間潜伏して生活できる程度の知能と社会適応能力もある。
トロールという生物のスペックを考えれば、人間の一般的な警戒や設備を突破すること自体は十分可能だろうと補完できる。
逆にそこを犯罪映画のように細かく説明してしまえば、ティーナのドラマから焦点が外れてしまう。
この作品は、必要なところだけ描き、必要のないところは説明しすぎない。
その取捨選択までかなり丁寧だった。
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演技も素晴らしかった。
ティーナは特殊メイクによってかなり異形の顔になっているのに、感情がまったく埋もれていない。
視線、呼吸、姿勢、匂いを探る動き。
自然の中へ入ったとき、徐々に身体の使い方そのものが変わっていく。
序盤のティーナは、人間社会の中で目立たないように縮こまって生きているように見える。
ところがヴォーレと出会い、自分の正体を知るにつれて、身体そのものが解放されていく。
ヴォーレも同じトロールでありながら、ティーナとは立ち方も視線もまったく違う。
ティーナが周囲を慎重に観察するのに対し、ヴォーレは最初から周囲を自分の領域のように扱う。
二人が同じ種族でありながら、まったく違う人生を歩んできたことが、身体表現だけでも伝わってくる。
特殊メイクを見せる映画ではなく、特殊メイクの下にある人物をきちんと見せる映画になっていた。
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そして最終的に、この作品を一言で表すなら、
「美しい話だった」
になる。
映像が美しいというだけではない。
森や湖といった北欧の自然風景ももちろん美しい。
しかしそれ以上に、ティーナという人物の生き方そのものが美しかった。
自分の尊厳を奪われた。
自分が何者なのかさえ知らされなかった。
同族を迫害した人間への怒りを持つ理由も十分にある。
それでも、その怒りを他者への加害へ変えなかった。
そして最後には、人間でもトロールでもない、自分自身の生き方を選んだ。
さらにその先に子供が現れる。
ティーナ自身は、自分が何者なのか知らされないまま育てられた。
だからこそ、この子には同じことをしないだろう。
人間として無理に育てるのでもなく、トロールだから人間を憎めと教えるのでもなく、本人が自分自身の道を選べるように育てるのではないか。
そう思わせる終わり方だった。
二つの世界の境界に立っていたティーナが、最後には第三の世界を作る可能性を得る。
非常に綺麗な結末だった。
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邦題の『ボーダー 二つの世界』も、この作品についてはかなり良いと思う。
原題の「Border」が持つ境界という意味を残しながら、「二つの世界」という副題によって内容も分かりやすくしている。
人間とトロール。
社会と自然。
同化と帰属。
被害者と加害者。
本能と倫理。
生物学的な人間と、精神的な意味での「ヒト」。
作品の中には様々なボーダーが存在している。
しかしティーナは、そのどちらか一方へ行く人物ではなかった。
境界に立ったまま、第三の道を選んだ。
だからこそ「ボーダー」というタイトルが、最後まで非常によく効いている。
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カンヌ国際映画祭で評価されたことにも納得できる作品だった。
奇抜な設定だけで注目を集めた映画ではない。
ミステリーとして興味を引き、北欧伝承ファンタジーとして世界観を成立させ、生物としてのトロールを具体的に設計し、その上でアイデンティティと倫理のドラマへ繋げている。
伏線も丁寧。
人物造形も丁寧。
世界設定も丁寧。
大きな穴もほとんどない。
そして何より、ティーナという一人の存在を最後まで尊重して描いている。
異形の女性を描いた映画ではなく、
「ヒトとは何か」を、ヒトではないティーナを通して描いた映画。
ヒトは醜い。
トロールもまた醜くなり得る。
けれど、そのどちらにも属さないところで、ティーナは美しく生きることを選んだ。
だから私は、この作品を名作として位置づけたい。
ティーナの倫理、尊厳、生き方。
そのすべてが、とても尊い作品だった。
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