『ヴィジット』の個人的な感想・考察
『ヴィジット』の個人的な感想・考察
①『ヴィジット』(2015年・アメリカ・監督:M・ナイト・シャマラン)
────────────────────────
② あらすじ
【起】
映画制作を志す姉ベッカと、ラップ好きでお調子者の弟タイラーは、母ロレッタの故郷に住む祖父母のもとを訪れることになる。
ロレッタは若い頃、恋人との結婚を反対されたことで両親と決裂し、そのまま家出。それ以来、長いこと実家とは疎遠になっていた。しかしある日、祖父母側から連絡があり、孫たちに会いたいという話になる。
母自身は過去のこともあって同行したがらなかったが、子供たちは祖父母に会うことを望み、二人だけで列車に乗ってペンシルベニアへ向かう。
ベッカにはもう一つ目的があった。
祖父母との生活をドキュメンタリー映画として撮影し、長年両親との確執を引きずっている母のために、「あなたを許している」という言葉を持ち帰ること。
いわば、母の心を治すための“万能薬”を撮影しに行ったのである。
────────────────────────
【承】
駅で祖父母と合流した二人は、田舎にある一軒家で一週間を過ごし始める。
祖父は穏やかで、祖母も昼間は優しい。
ところが祖父母には奇妙なところがあった。
「夜9時半以降は絶対に部屋から出てはいけない」
そう言われたベッカたちは、夜中になると祖母が家の中を異様な勢いで走り回ったり、奇妙な姿勢で動いたりする姿を目撃する。
祖父にも不可解な言動がある。
知らない男につかみかかろうとしたり、小屋へ使用済みの大人用おむつを隠していたり、突然様子がおかしくなったりする。
祖父母は高齢である。
そのため当初は、認知機能の低下や加齢による問題なのかもしれない、とも思えるように演出されていく。
しかし、明らかに何かがおかしい。
一方でタイラーは相変わらず陽気だ。
潔癖症という弱点を抱えながらもラップを披露し、列車の乗務員まで突然ヒューマンビートボックスのようなことを始める。
ベッカのカメラを見た人物が「昔、役者だった」と急に演技を始めたりと、作品全体には妙なコミカルさも漂っている。
仕事しなさいよ、と思うんだけど、この脱力感が結構いい。
────────────────────────
【転】
やがて、祖父母のもとを訪れるはずだった知人が姿を消し、病院関係者からも「祖父母が突然仕事を休んでいる」という話が出てくる。
祖父は精神科施設でボランティアをしていた。
そしてある日、ベッカとタイラーはSkypeで母と話し、家の外にいる老夫婦をカメラ越しに見せる。
そこで母が凍りつく。
「それ、あなたたちのおじいちゃんとおばあちゃんじゃない」
最初から一緒に暮らしていた二人は、祖父母ではなかった。
本物の祖父母は、すでに殺害されていた。
偽祖父母の正体は、本物の祖父が関わっていた精神科施設の患者だった。
子供たちは、会ったこともなく顔も知らない祖父母の家へ来たため、駅で出迎えた知らない老夫婦を疑うことなく祖父母だと思い込んでいたのである。
そして偽祖父母もまた、子供たちが自分たちの顔を知らないことを利用していた。
────────────────────────
【結】
正体が露見すると、偽祖父母の態度は一気に変わる。
偽祖母はベッカを追い詰め、偽祖父はタイラーの最大の弱点である潔癖症を利用して精神的に痛めつける。
しかしタイラーは恐怖を振り切り、偽祖父へ反撃。
ベッカも偽祖母と戦い、姉弟は家から脱出する。
二人は母と再会し、事件は終わる。
その後、母はベッカに自分と両親の過去を語る。
本当に必要だったのは両親から「許している」と言ってもらうことではなかった。
怒りや罪悪感を抱え続けるのではなく、自分自身がそれを手放していくこと。
それが母の出した答えだった。
ベッカもまた、父親への怒りから避け続けていた過去と向き合い始める。
完成した映画には、それまで使用しようとしなかった父との思い出の映像も入れられていた。
そして鏡を見ることを避けていたベッカは、最後には鏡を見ながらメイクをしている。
タイラーも事件後しばらく不安定だったことをラップで語りながら、相変わらずのテンションで締める。
二人とも完全に傷が消えたわけではない。
それでも、前へ進み始めた。
────────────────────────
③ 考察・感想・まとめ
全体として普通に面白かった。
かなり優しめのスリラーではあるけれど、この作品ではブラムハウス作品によくある「安心安全なソフトホラー感」が、そこまで物足りなさにはつながらなかった。
むしろ、この軽さが『ヴィジット』には合っていたと思う。
怖いところではちゃんと不気味。
でも重苦しくなりすぎる前に、タイラーがラップを始めたり、妙な大人がカメラを向けられた途端に演技を始めたりする。
列車の乗務員なんてタイラーのラップに合わせてヒューマンビートボックスみたいなことまで始める。
いや仕事しなさいよ。
でも、こういうコミカル要素が作品全体の温度をかなり上手く調整していた。
────────────────────────
特に良かったのはタイラー。
この作品を最初から最後まで引っ張っていたのは、かなり彼だったと思う。
表面的にはとにかく明るい。
お調子者で、ラップが好きで、人懐っこくて、かなりタフ。
しかし、父親が家を出たことについてはベッカとは違った傷を抱えている。
ベッカは父親に対して明確な怒りと寂しさを持っている。
父の映像を自分の映画に使わない。
鏡を見ることまで避けている。
一方タイラーは、それほど父親を恨んでいない。
むしろアメフトの試合で自分が動けなくなった過去を語りながら、「自分にも何か原因があったのではないか」という方向へ向かっている。
姉は父を外へ追い出し、弟は原因を自分の内側へ抱え込む。
この対比は結構よくできていた。
タイラーの潔癖症も、単なるキャラクター付けとして見るより、自分ではどうにもならなかった家庭の崩壊に対して、せめて自分の周囲だけは汚れなく制御しておきたい、という心の防御として読むこともできる。
だから終盤で偽祖父が、そこを最悪の方法で攻撃してくるのはなかなかエグい。
その状況を突破して反撃するところまで含めると、タイラーにもちゃんと一本の成長線がある。
ただ、このへんはもっと掘れた。
────────────────────────
ベッカも同じ。
ベッカは母のために映画を撮っている。
祖父母から「娘を許している」という証言を撮影し、それを母へ持ち帰る。
それを本人は“万能薬”と考えている。
つまり彼女はカメラを使って家族を修復しようとしている。
でも同時に、自分自身は父を許していない。
父との思い出を映画から排除している。
母を救おうとしながら、自分の傷については蓋をしている。
母もまた、夫に捨てられたこと以上に、自分が若い頃に両親と決裂して家を出たことを長年引きずっている。
この三人、
母は両親への罪悪感。
ベッカは父への怒りと寂しさ。
タイラーは自責。
それぞれ違う方向で家族の崩壊を抱えている。
だから最終的に「許すこと」「怒りを手放すこと」へ着地させる方向そのものは悪くない。
むしろ綺麗だと思う。
ただし、そこまでの過程は明らかに足りなかった。
────────────────────────
問題は結論ではなく、結論へ至る心理の積み上げ。
三人がそれぞれ何を傷として抱え、それをどう解釈していて、この事件を通して何が変わったのか。
そこをもっと見せなければ、
母が許しについて語る。
ベッカが父の映像を使う。
ベッカが鏡を見る。
タイラーがラップで事件を笑いに変える。
という結果だけが並ぶことになる。
構造は理解できる。
でも、感情としてはちょっとすっ飛ばしている。
この作品で一番「もう少し欲しかった」と思ったのはここだった。
────────────────────────
偽祖父母についても、私はかなり早い段階から「これ絶対、本物の祖父母じゃないだろ」と思って観ていた。
そもそも子供たちは祖父母と会ったことがない。
顔も知らない。
母が長期間絶縁していたなら、当然そうなる。
だから最初から、
「え? 子供だけで行かせるの?」
「駅で誰を祖父母だと確認するの?」
という疑問があった。
実際、その穴を利用したトリックだったわけだけど、それ以前に母親の安全管理としては普通に危ない。
映像通話くらいしておきなさいよ。
ここは脚本上の弱点だと思う。
────────────────────────
時系列を整理すると、おそらく本物の祖父母は母と連絡を取った時点ではまだ生きている。
祖父母の知人の話や病院での状況を見る限り、少なくとも少し前までは通常通り生活していた。
そこからかなり直近で偽祖父母が施設を出て、本物の祖父母を殺害したと考えるのが自然。
偽祖父母は、本物の祖父母から「近く孫が来る」という話を聞いていた可能性が高い。
そこで、本物の祖父母を殺害して家を奪い、孫を迎え入れる。
では、なぜそんなことをしたのか。
ここは作品ではかなり曖昧。
二人とも精神科施設に関係していた人物であり、家族に対して何らかの強い執着を持っていることは示唆される。
だから「失われた家族を自分たちなりに再現したかった」という読み方はできる。
ただ、明確には描かれていない。
────────────────────────
そして、ここにはもう一つかなり大きな問題がある。
この作品、見せ方を間違えると、
「認知症老人ヤベェ」
という感想だけ観客に持ち帰らせかねない。
前半では祖父母の奇行について、認知症や加齢による変化のような説明がされる。
夜中の異常行動。
失禁。
混乱。
不可解な言動。
そして後半、「実は精神科施設の患者でした」となる。
しかし、
認知症的な症状。
精神疾患。
本人たちが抱えている過去。
家族を演じたい欲求。
殺人や暴力性。
これらが十分に切り分けられていない。
だから雑に観れば、
「ボケた老人が暴走して殺人事件を起こした」
くらいの印象にもなってしまう。
それはかなり危うい。
病気そのものと暴力性は別の話なのだから、そこはもう少し丁寧に整理してほしかった。
偽祖父母がなぜ家族を欲したのか。
なぜ本物の祖父母を殺し、孫まで迎え入れたのか。
優しい祖父母を演じている時間と、病的な行動はどういう関係にあるのか。
このあたりまで描けば、人物としてぐっと深みが出たはず。
────────────────────────
ただ、ここまで考えていくと逆に面白い。
じゃあ、それらの穴を全部埋めた『ヴィジット』を観たいか?
観たい。
すごく観たい。
別の監督、別の作家に同じ素材を渡して、120分くらいの陰鬱なシチュエーションスリラーにした「ヴィジット・ダーク版」はかなり面白そう。
母、姉、弟の傷を徹底的に掘る。
偽祖父母の家族への執着も掘る。
精神疾患と暴力性をきちんと切り分ける。
子供たちが「何かがおかしい」と訴えても、大人に信じてもらえない状況まで描く。
そうすればかなり重たい心理スリラーができると思う。
ただし。
そこまでやった瞬間、
「別にそれ、『ヴィジット』じゃなくてもよくない?」
ともなる。
そういう重厚なスリラーは他にもある。
────────────────────────
ここで結局、シャマランの選択へ戻ってくる。
この素材を徹底的に掘り下げず、
子供目線。
POV。
不気味な祖父母。
時々笑える。
最後は反撃して脱出。
家族の傷も一応整理して、後味よく終了。
このバランスにしたからこそ『ヴィジット』になった。
しかも映像もファウンド・フッテージとしてはかなり綺麗。
子供たちのカメラもSkypeも、映像という映像が整いすぎていて、リアリティという意味では弱い。
でも、その代わり非常に観やすい。
ここまで含めて優しめなんだよね。
POV特有の「画面が揺れすぎて何やってるかわからん」というストレスを極力排除している。
リアリティより映画としての見やすさを選んでいる。
これも、この作品には合っていたと思う。
────────────────────────
そして何より、今回ちょっと珍しいと思ったのがシャマランのバランス感。
シャマランって、結構「惜しい」がある。
アイデアはいい。
素材もいい。
途中まで面白い。
でも、
「いや、ここあと少し整理するだけで、ぐっと良くなったじゃん」
となったり、
最後に変な処理をして台無しにしたりする。
この「惜しい」が、素材が良いだけに余計腹立つ。
シャマランあるあるだと思う。
でも『ヴィジット』では、それがあまりなかった。
もちろん穴はある。
かなりある。
でも、その穴を含めて全体のバランスを取って仕上げている。
全部を説明しない。
全部を掘らない。
その代わりテンポを殺さない。
怖さを重くしすぎない。
タイラーの明るさも最後まで残す。
最後にもう一発どんでん返しを入れて作品を壊したりもしない。
ちゃんとそのまま着地する。
────────────────────────
だから今回は、
「ここが惜しいから駄目」
ではなく、
「ここは穴だけど、この作品ならまあ分かる」
で終われた。
穴を埋めた別バージョンは観てみたい。
でも『ヴィジット』という作品として考えれば、今の形がたぶん最適解だった。
深くしなかったから失敗したのではなく、
深くしすぎなかったから『ヴィジット』として成立した。
ここが最終的な評価かな。
傑作級の重厚さはない。
メッセージ性もドラマも、もう一段欲しい。
それでも、ホラー、スリラー、家族ドラマ、コメディを全部ほどよいところで止めて、最後まで気持ちよく観せきった。
シャマラン作品としては、ある意味ちょっと珍しいくらい整っていた。
「惜しい」「残念」「なんでそこでそうするんだよ」という苛立ちが残らない。
穴は穴として見える。
でも、その穴込みで「これはこれで成功してる」と納得できる。
そういう意味で、かなり安定した完成度の良作だったと思います。
ホラー館はコチラ↓
コメント