『ラ・ヨローナ ~泣く女~』の個人的な感想・考察
『ラ・ヨローナ ~泣く女~』の個人的な感想・考察
『ラ・ヨローナ ~泣く女~』(2019年・アメリカ・監督:マイケル・チャベス)
The Curse of La Llorona
死霊館ユニバース関連作品
メキシコの怪談「泣く女」を題材にした伝承ホラー
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
②あらすじ
【起】
1970年代のロサンゼルス。
夫を亡くし、二人の子どもを育てながら児童福祉の仕事をしているアンナは、担当している母親パトリシアの家庭を訪ねる。
パトリシアは二人の息子を部屋へ閉じ込め、異常なほど外へ出そうとしない。
虐待を疑ったアンナは子どもたちを保護するが、その夜、二人は川で溺死した状態で発見される。
しかしパトリシアは悲しみに暮れるどころか、
「あなたが子どもたちを連れ出したから、あの女に見つかった」
とアンナを責める。
彼女が恐れていたのは、メキシコに古くから伝わる「ラ・ヨローナ――泣く女」だった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【承】
やがてアンナの子どもたちの周囲にも、白いドレスを着た女の霊が現れ始める。
泣き声。
浴室。
暗い廊下。
誰もいないはずの場所に漂う気配。
そして子どもたちの身体には火傷のような痕まで残される。
ラ・ヨローナは、生前、自分を裏切った夫への復讐として自らの子どもたちを川へ沈めて殺し、その直後に自分のしたことを悔いて自らも命を絶った女。
死後も失った我が子を探してさまよい続け、他人の子どもを奪っては自分の子の代わりにしようとする怪異となっていた。
このあたりまでの展開は非常にわかりやすい。
怪異の正体、目的、過去が順番に明らかになっていき、難解さで引っ張るタイプではない。
良い意味でシンプルでスマート。
撮影や恐怖演出も、中盤くらいまではかなり好みだった。
静かな沈黙を長く取ったり、不安定なカメラワークを使ったり、画面の余白へラ・ヨローナを配置したり。
いきなり怪物をドーンと見せるより、
「そこに何かいる」
という感覚で恐怖を作る。
かなりJホラーに近い。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【転】
アンナは教会へ助けを求める。
そこで紹介されるのが、元神父のラファエル。
しかし彼は、現在では教会の正式な悪魔祓いを行うエクソシストではない。
カトリックの信仰を残しながら、メキシコの土着信仰や民間呪術を取り入れた独自の方法で怪異へ対処する祓い手になっている。
卵、煙、種、火、聖なる木などを使い、家そのものを清め、防御しながらラ・ヨローナと対決していく。
この路線はかなり良かった。
死霊館シリーズでは、基本的にはカトリック、悪魔学、聖水、十字架、エクソシズムといったキリスト教側の体系が中心になる。
しかし今回はメキシコ伝承の怪異。
だから、それに対抗する側にもメキシコ独自の宗教文化を持ってきた。
ここまでは、シリーズの中でもかなり違う作品になれる可能性があったと思う。
メキシコという土地そのものが面白い。
アステカやマヤをはじめとした先住民文化が存在していたところへ、スペインによる征服とカトリックが入ってくる。
しかし、それまでの信仰が単純に消えたわけではない。
カトリックという表向きの宗教と土地の信仰が長い時間をかけて混ざり合い、独自の宗教習合が生まれていった。
だから、キリスト教圏でありながら、
「一般的なカトリックとは少し違う」
祈りや清め、民間治療、呪術的な習俗が存在する。
アメリカホラーでも、この「メキシコ系の人は怪異に対する実戦能力が妙に高い」という描写は結構ある。
たとえば『パラノーマル・アクティビティ2』のお手伝いさん。
家族がまだ何も理解していない段階から家の異変を察知し、リンピアのような方法で清めようとする。
家族は迷信扱いして彼女を解雇する。
でも結局どうにもならなくなり、怖くなって、また彼女を呼び戻す。
こういう、
「合理的な現代人が土地に根付いた知恵を軽視するが、結局そちらが正しかった」
という構図はアメリカホラーではお馴染み。
キリスト教側も面白くて、普通の神父や牧師だと怪異に対してほとんど役に立たない作品も多い。
ところが専門のエクソシストになると突然めちゃくちゃ強い。
一方、メキシコ系の祓い手は教会の正式な専門家ではないのに、日常の延長線上で怪異を察知し、その場ですぐ対処する。
この違いが面白い。
だからこそラファエルは、ものすごく良いキャラクターだった。
……だったのに。
この映画、その面白いところをほとんど掘り下げない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【結】
終盤になると、作品の毛並みが急激に変わる。
それまでJホラー的な静かな恐怖を作っていたラ・ヨローナが、家の中を暴れ回り、人間を投げ飛ばし、扉を破り、物理攻撃を連発する。
もはやゴーストというよりモンスター。
しかも強さだけなら悪魔並み。
ラファエルがさまざまな手段を用意し、あれだけ頑張って防御しても突破され、
「もうどうにもならないのでは?」
というところまで追い詰められる。
そして最後。
聖なる木から作られた十字架をラ・ヨローナの胸へ突き刺す。
消滅。
終了。
……え、それで終わり?
という感じだった。
あれほど強大な存在として描いておきながら、最後は十字架を物理的に突き刺したら倒せました、では、ほとんどモンスター映画の弱点武器。
ゲームで言えば、
「聖属性武器が弱点なのでボスへ直接攻撃して撃破」
みたいな決着になってしまった。
そしてアンナ一家は助かり、ラファエルは去り、清々しい雰囲気で映画は終了する。
でも待ってほしい。
清々しいのは生き残った側だけなんだよね。
ラ・ヨローナは救済されていない。
自分の子どもを殺してしまった罪。
その後悔。
永遠に我が子を探し続ける悲しみ。
そうした彼女自身の悲劇には何の決着もついていない。
ただ危険な悪霊だったから祓いました。
本当に、それだけ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
③考察・感想・まとめ
前半から中盤までは、かなり良かったと思う。
全体のストーリーは非常にわかりやすく整っている。
伏線らしいものも順番に回収されるし、怪異の正体も目的もちゃんと説明される。
複雑さはなく、良い意味でシンプル。
テンポもいい。
そして中盤までの恐怖演出も好き。
静かな沈黙を使って緊張を作り、画面の端や奥に怪異を置く。
カメラも少し不安定で、観客自身が周囲を警戒したくなる。
ラ・ヨローナの見せ方にもJホラーっぽさがあった。
だから途中までは、
「かなり手堅くまとまった作品だな」
と思って観ていた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ところが終盤。
本当に途中から脚本家が変わったのかと思うくらい、作品の性質が変わってしまう。
ホラーからモンスターバトルになる。
そして最後は十字架を刺して終了。
終盤って、一番作り込まなきゃいけないところだと思う。
そこまで積み上げてきたテーマもキャラクターも怪異の背景も、全部最後に収束させる場所。
一番印象に残るところでもある。
なのに、この映画はそこが一番浅い。
これはかなりもったいなかった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
そもそもラ・ヨローナって、ただの悪霊として処理するには悲劇性が強すぎるんだよね。
我が子を自ら殺してしまった母親。
取り返しのつかない罪。
そして死後も、失った子どもを探し続けている。
一方、主人公アンナもまた母親。
自分の子どもを守ろうとして戦っている。
だったら最後は、
「子どもを奪う母」と「子どもを守る母」
という対比をもっと強くすればよかった。
アンナがラ・ヨローナの悲しみへ触れる。
ラ・ヨローナも、自分が本当に求めていたものが他人の子どもではないことを思い出す。
そして最後には彼女自身も救済される。
成仏でもいい。
赦しでもいい。
少なくとも、
「母親としてアンナがラ・ヨローナへ勝った」
という決着がほしかった。
それなら母子のドラマと怪異の背景が一本につながる。
ところが実際に勝ったのは、ほぼ「聖なる木製の十字架」。
これでは生者の強さでもない。
信仰の強さでもない。
神の力による救済でもない。
ラ・ヨローナ自身の魂の解放でもない。
ただ十字架を突き刺してモンスターを倒しただけ。
題材がラ・ヨローナである意味まで薄くなってしまった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
そしてもう一つ、ものすごくもったいないのがラファエル。
元神父。
なのに現在は教会を離れ、メキシコの民間信仰を取り込んだ独自の祓い手になっている。
こんなに面白そうな経歴なのに、
「なぜ神父を辞めたのか」
「何があって現在の方法へ辿り着いたのか」
「カトリックと土着信仰を本人はどう捉えているのか」
「なぜあの道具を使うのか」
ほぼ何も説明されない。
せっかく、
メキシコ伝承
元神父のラファエル
メキシコ独自の民間信仰
独自の祓い方
というパーツを揃えたのに、全部表面上の記号で終わってしまった。
ここは本当にもったいない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
むしろ私は、ラファエル主役の前日譚を観たい。
『ドクター・エクソシスト』のセスみたいな背景を持たせたら、ものすごくハマると思う。
神父だった頃のラファエル。
ある怪異事件へ、教会の正式な方法で対処しようとする。
しかし相手はキリスト教的な「悪魔」ではなく、土地の伝承に属する怪異だった。
教会の理論だけでは通じない。
その結果、救えるはずだった誰かを救えなかった。
そこで初めて、自分が迷信として扱っていた土地の信仰へ向き合うことになる。
メキシコの民間療法や呪術、清め、先住民由来の信仰を学び始める。
そして、
「カトリックが間違っていた」
という単純な話ではなく、
「怪異ごとに違う背景があり、一つの理論ですべてを説明することはできない」
というところへ辿り着く。
最終的に神父という立場を離れながら、キリスト教信仰そのものは捨てない。
十字架も使う。
祈りも使う。
でも土地の儀礼も使う。
そうして現在のラファエルになる。
これなら人物ドラマとしても、メキシコの宗教文化を掘り下げる作品としてもかなり面白い。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
しかもラファエルなら、一作だけで終わらせる必要もない。
シリーズ化できる。
メキシコ各地の伝承。
中南米の別の怪異。
移民とともにアメリカへ持ち込まれた信仰や怪異。
事件ごとに、ラファエルが相手の文化や歴史を調べ、
「これは悪魔ではない」
「この土地では、こういう意味を持つ存在だ」
と解き明かしていく。
単なるエクソシストではない、
「宗教民俗ホラーの専門家」
みたいなシリーズ。
これ、かなり観たい。
ラファエルには何本か作れるくらい素材があると思う。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
死霊館ユニバースとの接続についても、この作品では逆効果だったと思う。
神父がアナベル人形について語る場面があり、死霊館シリーズとの関連を示している。
でも、その設定が今回の物語にほとんど関係しない。
ウォーレン夫妻が登場するわけでもない。
アナベルがラ・ヨローナに関係するわけでもない。
死霊館シリーズの悪魔学が解決へつながるわけでもない。
だったら別に、死霊館と一切関係のない独立作品で良かった。
むしろ中途半端に死霊館へ接続したせいで、死霊館シリーズと比較される。
死霊館って、家族愛だったり、信仰だったり、悪魔との因縁だったり、最後の決着までちゃんと物語上のテーマとつなげる作品が多い。
そこへ並べてしまったら、
「ラ・ヨローナ、終盤浅くない?」
となるのは当然。
シリーズブランドを使うことで観客を呼べても、そのブランドがそのまま比較対象にもなる。
今回は完全に後者が強く出てしまったと思う。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
死霊館シリーズを今後さらに続けるなら、安全策としてはやっぱりアナベルなんだろうなとは思う。
知名度があるし、興行的にも企画を通しやすい。
ただ、アナベルもかなり使ってきた。
ウォーレン夫妻の事件も相当描いてきた。
同じものを掘り続ければ、だんだん薄くなっていく可能性がある。
創作家なら、そういうときこそ新しい方向へ攻めてほしい。
シスター・アイリーンの後日譚なんかも観てみたい。
ヴァラクとの戦いだけじゃなく、
「あれだけのものを経験した後、彼女の信仰はどうなったのか」
を描いたら面白そう。
でも、一番観たいのはやっぱりラファエル。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ラファエルというキャラクターは、今回の映画で使い切られていない。
というより、ほとんど使っていない。
だから今から掘っても遅くない。
むしろ『ラ・ヨローナ』が浅かったからこそ、まだ掘れるところが丸ごと残っている。
現実的には、ラファエル単独スピンオフなんてかなり可能性は低いんだろうけど。
死霊館関連の企画そのものが完全に終わったわけではないなら、薄い望みくらいは持っておきたい。
ウォーレン夫妻の物語を無理に引き延ばすより、
同じ世界に存在する、まったく違うタイプの祓い手。
カトリックとメキシコの民間信仰の狭間に立つ元神父。
そんなラファエルシリーズを観てみたい。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
結論。
『ラ・ヨローナ ~泣く女~』は、決して駄作ではない。
むしろ前半から中盤まではかなり丁寧。
ストーリーはわかりやすく、テンポも良く、恐怖演出もちゃんとしている。
メキシコ伝承を題材にして、死霊館シリーズとは違う民間信仰の祓い手まで出した。
素材はものすごく良い。
だからこそ、終盤の浅さが本当に惜しい。
ラ・ヨローナの悲劇を救済へつなげない。
母親同士の物語を回収しない。
ラファエルの背景を掘らない。
メキシコの宗教習合も掘らない。
最後は十字架で物理的に倒して終了。
よく整理された王道怪談として始まり、最後だけ無難なモンスター退治になってしまった作品。
悪くはない。
でも、良くなれる材料があまりにも揃っていたから、
「これ、もっと面白くできたよね」
という気持ちのほうが強く残った。
そして映画そのもの以上に、
ラファエル、お前の話をもっと見せてくれ。
最終的には、そこが一番印象に残った作品でした。
ホラー館はコチラ↓
コメント