『マローボーン家の掟』の個人的な感想・考察
『マローボーン家の掟』の個人的な感想・考察
①『マローボーン家の掟』(2017年・スペイン/アメリカ・監督:セルヒオ・G・サンチェス)
────────────────────────
② あらすじ
【起】
1960年代後半。ローズ・マローボーンは、四人の子供――長男ジャック、次男ビリー、長女ジェーン、末っ子サムを連れ、父親から逃れるためイギリスを離れてアメリカへ渡る。
一家が辿り着いたのは、ローズが幼いころ暮らしていた古い屋敷だった。
ここでは過去の名前を捨て、全員が「マローボーン」として新しい人生を始める。
近くに暮らす少女アリーとも親しくなり、長い逃亡の末、ようやく一家に穏やかな時間が訪れたように見えた。
しかしローズは病に倒れる。
死の間際、彼女は子供たちに、ジャックが21歳になるまで自分の死を秘密にするよう言い残す。当時の制度では、ジャックが成人する前に母の死が知られれば、兄妹たちは引き離される可能性があったからだ。
四人は母を失った悲しみを抱えながら、それでも「家族は決して離れない」という約束を守り、屋敷で暮らし続ける。
────────────────────────
【承】
やがて屋敷では奇妙な出来事が起き始める。
兄妹たちは鏡を布で覆い、屋根裏に潜む「幽霊」を恐れている。
物音がする。
何者かの気配がする。
壁や天井の向こうには、明らかに何かがいる。
しかし、それが本当に幽霊なのか、父親なのか、あるいは兄妹たちが隠している別の秘密なのかは、なかなか明らかにならない。
一方、ジャックとアリーは互いに惹かれ合うようになる。
だが、ローズから屋敷への所有権移転を担当していた弁護士ポーターが現れたことで、兄妹たちの秘密は再び脅かされ始める。
母親は生きているのか。
父親は本当にいなくなったのか。
屋根裏の正体は何なのか。
そして、マローボーン家の兄妹たちは、本当は何を隠しているのか。
物語は答えを簡単には与えず、不穏さだけを少しずつ積み重ねていく。
────────────────────────
【転】
やがて、これまで見えていた世界そのものがひっくり返る。
父親は一家を追ってアメリカまでやって来ていた。
そして屋敷に侵入し、ジャック以外の三人――ビリー、ジェーン、サムを殺していた。
ジャックは父親を屋根裏へ閉じ込めたものの、大切な兄妹を一度に失った現実に耐えられなかった。
自ら命を絶とうとしたジャックの前に、死んだはずの兄妹たちが再び現れる。
それ以降ジャックは、三人が今も生きている世界の中で暮らしていた。
医学的に説明するなら、強烈なトラウマによる解離や幻覚、複数の人格として捉えることもできる。
しかし映画は、それだけが唯一の答えだとは断定しない。
もしかすると、本当に兄を一人にしないために、死んだ弟妹たちが戻ってきたのかもしれない。
そんなスピリチュアルな余白も残されている。
そして屋根裏には、ジャックが殺したと思っていた父親が、まだ生きていた。
────────────────────────
【結】
真相に近づいたポーターは屋敷へ侵入し、父親を解放してしまう。
再び現れた父親はアリーを襲う。
兄妹を失ったときの恐怖が蘇り、現実と幻想の狭間で動けなくなるジャック。
しかし、アリーを守るために立ち上がる。
それがジャックだったのか。
ビリーだったのか。
それとも、マローボーン家の四人全員だったのか。
映画は明確には答えない。
それでも父親は倒され、アリーは救われる。
その後、ジャックは屋敷で暮らし続けている。
アリーもまた彼のそばにいる。
処方された薬は溜まっているように描かれ、アリーはジャックの中に存在する兄妹たちを無理に消そうとはしていない。
最後に映し出される家族の写真。
そして穏やかに笑うジャック。
現実には失われたはずのマローボーン家は、ジャックの中で今も一緒に暮らしている。
────────────────────────
③ 考察・感想・まとめ
前情報を一切入れずに観たので、かなり楽しめました。
そもそも何系の映画なのかすら分からない。
幽霊屋敷ものなのか。
家族に何か秘密があるのか。
父親が追ってくるスリラーなのか。
ジャック自身がおかしいのか。
それとも兄妹の誰かに問題があるのか。
映画はかなり長い時間、ジャンルそのものを確定させない。
謎の解明まで結構時間がかかります。
だから、この手の「分からない状態そのもの」を楽しめない人だと、途中でモヤモヤに潰されてしまう可能性はあると思う。
でもこれは完全に好みの問題。
私は先読みしにくい映画が好きなので、このじっくりした進行はかなり良かった。
────────────────────────
そして真相が分かってから振り返ると、前半のほとんどの場面が別の意味を持ち始める。
これが非常にうまい。
兄妹たちが外へ出ないこと。
鏡を覆っていること。
ジャックだけがアリーやポーターと接触すること。
ジェーンがジャックを心配していること。
ビリーが攻撃的な役割を担うこと。
サムが幼い弟としてそこにいること。
全部、最初に観たときとは意味が変わる。
単なる「実はこうでした!」という一発のどんでん返しではなく、真相によって映画前半そのものを再解釈させるタイプの仕掛けになっている。
これはかなり高度な設計だと思う。
────────────────────────
特に良かったのがジェーン。
演じているのはミア・ゴス。
今では『X』『Pearl』などで強烈な存在感を持つホラー女優として知られているけれど、『マローボーン』はそれらより前の作品。
今のミア・ゴスを知った状態で観ると、存在しているだけで怪しい。
「この妹、絶対何かあるだろ」
と思ってしまう。
とくに印象的だったのがジャックの入浴シーン。
ジャックが浴槽へ顔まで沈み、再び水面から顔を出す。
すると浴槽の縁にジェーンが頭を乗せ、じっとジャックを見ている。
怖いわ、この妹!
完全にホラー映画の構図です。
このまま頭を押さえて沈めるんじゃないかとすら思った。
でも真相を知ってから振り返ると、意味が反転する。
ジェーンは兄を脅かしているのではない。
危ういジャックのそばにいて、見守っている。
初見では「不気味な妹」。
二度目の意味では「兄を一人にしない妹」。
同じ映像なのに感情が逆転する。
ミア・ゴス特有の、無垢さと異質さが同時にある強烈な顔と存在感を、この作品はものすごく上手に利用していました。
しかも当時はまだ『X』も『Pearl』も存在していない。
後年のイメージに便乗して選んだわけではなく、
「ジェーンにはこの女優だ」
と見抜いて起用したわけで、キャスティングのセンスも見事。
────────────────────────
作品全体を振り返って気になったのは、家の権利関係。
あの屋敷はローズの生家ではあるけれど、到着した時点では完全にローズ名義になっていたわけではなく、弁護士ポーターを通して所有権移転を完了させる途中だったらしい。
そこでローズが亡くなってしまったため、母親の死を隠しながら手続きを進める必要が生じる。
またジャックが21歳になるまで母の死を隠すという設定も、当時のアメリカでは21歳が成年年齢だったことを知らないと、現在の感覚では少し分かりにくい。
ここは映画内でもう少し説明があっても良かったと思う。
さらに一家はイギリスからアメリカへ渡っている。
国をまたぐとなると、現実には入国、未成年者の監護、財産、母親の死亡など、もっと複雑な問題が出てくるはず。
だから法的な設定そのものは、かなり簡略化されている。
────────────────────────
ただ、ここは考えていくと単なる設計不足とも言い切れない気がしてきた。
この映画そのものが、一種の大人向けのゴシック童話、寓話として作られているのではないか。
悪い父親から逃げる母と子供たち。
海を越えて遠い土地へ逃げる。
森の中にある母の古い家。
過去の名字を捨て、新しい家族として生き直す。
母親が死ぬ。
子供たちだけで身を寄せ合う。
屋根裏には怪物がいる。
兄妹たちは家族を守ろうとする。
そして最後には、彼らを丸ごと愛してくれる人が現れる。
これ、骨格だけを見るとかなり昔話や童話なんですよね。
そう考えると、イギリスからアメリカまで逃げたことにも意味が出てくる。
ただ遠くへ逃げたのではなく、
海を越え、過去の世界から別の世界へ逃げた。
そういう象徴的な再出発。
だから法律や行政を現実的に描きすぎれば、今度は作品の寓話性が失われる。
「現実として成立するギリギリの説明だけ置き、細部には踏み込まない」
という匙加減だったのかもしれない。
父親の異常なフィジカルについても同じ。
あの父親、強すぎます。
長期間屋根裏に閉じ込められていた人間とは思えない。
でも彼を単なる現実的な父親ではなく、
どこまで逃げても追ってくる、子供たちの人生を破壊する怪物
として見るなら、あの異常な強さも許容できる。
童話の鬼や魔女と同じ。
人間ではあるけれど、物語上では「怪物」なんだと思う。
────────────────────────
そして何より、この作品はひたすら可哀想な話です。
父親から逃げる。
ようやく新生活が始まる。
母親が死ぬ。
兄妹だけで生きていかなければならなくなる。
それでも頑張っているところへ父親が追ってくる。
弟と妹たちを殺される。
ジャックは一人だけ残される。
あまりに残酷。
ジャックが現実を受け止められなくなったのも当然としか思えない。
そこで兄妹たちは戻ってくる。
現実的に見れば幻覚や解離、多重人格的な状態かもしれない。
でも私は、そこを医学的説明だけで閉じなくてもいいと思った。
もしかすると本当に、
「兄ちゃんを一人にしちゃ駄目だ」
と三人が帰ってきたのかもしれない。
映画は、その解釈を完全には否定していない。
亡霊は兄を守り、兄は亡霊を守ることで生きていた。
私はそんなふうに受け取りました。
────────────────────────
この部分は『ゴーストランドの惨劇』とも少し重なる。
あちらも幻想と現実の境界を使う作品だけれど、幻想は現実の地獄を生き延びるための防衛反応として働いている。
人間は耐えられない現実に直面したとき、一時的にそこから逃げることがある。
それは単なる弱さではなく、自分の心を壊さないための機能でもある。
『シャッター アイランド』では、主人公にとって現実を受け入れること自体があまりにも苦しかった。
そして最後には、その現実を背負って生き続けるのではなく、自分自身を終わらせる方向の選択をする。
それもまた、非常に暗い形ではあるけれど、本人にとっての救済だったのだと思う。
────────────────────────
ただし『マローボーン』は、精神障害を主題にした映画ではない。
ここは重要。
ジャックの状態は物語の結果であって、作品の中心そのものではない。
中心にあるのは、
家族を守りたい。
それだけだと思う。
父親から逃げた母。
弟妹を守ろうとしたジャック。
死んでも兄から離れなかった兄妹。
そして最後に、その全員を受け入れたアリー。
だから終盤、父親が再び現れてアリーを襲ったときに立ち上がったのが誰なのかも、私は決めなくていいと思う。
ジャックなのかもしれない。
ビリーなのかもしれない。
四人全員なのかもしれない。
身体はジャック一人。
でも戦ったのはマローボーン家全員だった。
そう考えると、とても綺麗です。
────────────────────────
そして最後のアリー。
ここが本当に良かった。
ジャックには薬が処方されている。
でも薬は溜まっているように見える。
医療という側面だけで見れば、服薬を止めることには当然さまざまな問題がある。
ただ、この映画が描いているのは治療方針の是非ではない。
アリーは、
「兄妹たちは存在しない。現実を受け入れなさい」
とジャックに強制しなかった。
ジャックの中にいるジェーンも、ビリーも、サムも含めて、そのままの彼を受け入れた。
現実にはアリーがいる。
ジャックの中には兄妹たちがいる。
どちらか一方を消さなくていい。
両方を抱えながら生きていけばいい。
そういう終わり方だったように思う。
────────────────────────
『ゴーストランドの惨劇』では、幻想は現実へ戻るまでの避難場所。
『シャッター アイランド』では、現実が耐え難すぎて主人公はそこから降りる。
でも『マローボーン』は違う。
幻想と現実を共存させたまま、生き続ける。
その選択を可能にしたのがアリーだった。
だから彼女の慈愛は、ジャック一人だけを救ったのではない。
ジャックの中に生きているマローボーン家の子供たち全員を包んだのだと思う。
────────────────────────
そして最後の写真と、ジャックの笑顔。
あの結末を見て、これは結局、
ひたすら酷い目に遭い続けた子供たちが、最後にはようやく幸せになれる物語だったんだな
と思いました。
そう考えると、やはりこの作品は童話に近い。
昔話や童話には、理不尽なくらい不幸な子供が出てくる。
親を失う。
捨てられる。
怪物に襲われる。
何度も苦しむ。
でも最後には、その子が安心して暮らせる場所へ辿り着く。
『マローボーン』は、それを大人向けの心理スリラー/ゴシックホラーとして現実的に描き直した作品なのかもしれない。
そう考えると、非常に納得できる。
────────────────────────
ちなみに邦題の『マローボーン家の掟』は、かなりズレていると思う。
劇中に「五つの厳格な掟」が明確に提示されるわけではない。
確かに兄妹の間には、
母の死を隠す。
家族は離れない。
鏡を覆う。
外部との接触を避ける。
過去を捨てる。
といった約束や生活上のルールはある。
でもこれは「五つの掟を守らないと怪異が起きる」というタイプの映画ではない。
原題は『Marrowbone』、あるいは『The Secret of Marrowbone』。
つまり「マローボーンの秘密」。
こちらのほうがはるかに作品内容に合っている。
個人的には、
『マローボーン家の子どもたち』
くらいでも良かったと思う。
家族の物語であり、兄妹全員の物語であり、童話的な響きもある。
日本の邦題って、ときどき本当に原形がなくなる。
『フェブラリー 消えた少女の行方』もそうだったけれど、
「なんでそうなった?」
というタイトルが普通にある。
タイトルは作品を見る前に観客へ渡される最初の情報なんだから、そこで中身と違う方向へ誘導するのはやめてほしい。
『マローボーン家の掟』なんて聞いたら、どう考えても「屋敷に伝わる禁忌を破ったら何か起きるホラー」だと思うじゃないですか。
違うんですよ。
これは「掟」の話じゃない。
家族が離れないために交わした約束の話なんです。
────────────────────────
細かく見れば、法制度の簡略化など少し引っかかる部分はある。
でも、作品全体を壊すような穴や欠陥は、ほとんど見当たらなかった。
脚本。
伏線。
映像演出。
屋敷の使い方。
ホラー演出。
キャスティング。
ミスリード。
真相後の意味の反転。
そして最後の感情的な着地。
どの角度から見ても非常に高度に設計されていて、それを映像としてきちんと実現できている。
設計図が良くても、完成品が崩れる映画はいくらでもある。
でもこれは崩れなかった。
久しぶりに、
「ここ惜しかったな」
ではなく、
見事。ちゃんと満足できた。
で終われた映画でした。
悲しくて、怖くて、優しい。
そして最後には、あれほど可哀想だったマローボーン家の子供たちが、ようやく誰にも邪魔されず一緒にいられる。
私は、そういう物語として受け取りました。
ホラー館はコチラ↓
コメント