『トロール・ハンター』の個人的な感想・考察

 『トロール・ハンター』の個人的な感想・考察


①『トロール・ハンター』(2010年・ノルウェー・監督:アンドレ・ウーヴレダル)


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②あらすじ

【起】

ノルウェーの大学生らしき撮影クルーは、熊の密猟疑惑を追う取材の中で、謎めいた男ハンスに接触する。

彼は世間から見れば不審な密猟者のように見えるが、実際にはノルウェー政府に雇われた特殊な職業人だった。

その仕事は、国内に存在するトロールを監視し、被害が出た場合には処理し、世間に存在を知られないよう隠蔽すること。

つまり彼は、伝説上の怪物を相手にする「トロール・ハンター」だった。

撮影クルーは当初半信半疑ながら、ハンスの後を追い、やがて実際に巨大なトロールの姿を目撃することになる。

【承】

本作の面白さは、トロールという完全にファンタジー側の存在を、神秘や伝説ではなく、現代社会の業務として扱っているところにある。

トロールは確かに存在する。
しかも一種類ではなく、生態や行動範囲、危険度の異なる複数種がいる。

しかし作品はそれを、ただの怪獣パニックとしては描かない。

ハンスは勇者でも英雄でもない。
疲れた現場職員であり、危険な仕事を黙々とこなし続けている特殊業務の従事者である。

トロール退治には段取りがあり、道具があり、現場判断があり、報告があり、隠蔽がある。
被害は熊の仕業に偽装され、送電線や電気設備は実はトロール対策でもあり、政府関係者は事後処理に動く。

この「ありえないものを、ありそうな行政・現場仕事に落とし込む」作りが、本作の大きな魅力になっている。

【転】

撮影クルーはハンスに同行しながら、次第にトロールの実態と、政府による隠蔽の構造を知っていく。

夜の森での遭遇、巨大トロールの追跡、種類ごとの特徴、光に弱いという性質、現場での緊張感。

映像としてはCGの多用もあり、「これを本物映像だと押し切るには無理がある」と感じる部分もある。
しかし、それでも作品としての説得力は十分にある。

なぜなら本作は、CGでトロールを見せること自体よりも、その周辺にある現場感、職業感、生活感によって「本物らしさ」を作っているからだ。

トロールがいるかいないかではなく、
「もし本当にトロールがいて、政府が隠していて、それを処理する仕事があるなら、現実にはこんな感じになるだろう」
という生々しさがある。

派手なヒーローものでもなければ、ただ人々が逃げ惑うだけの中身の薄いUMAパニックでもない。
本作は、闇稼業のドキュメンタリーであり、特殊害獣駆除の密着映像であり、ダークヒーローものにも近い。

【結】

終盤、トロールの存在を記録した映像は、誰かの手によって外部へ送られたものとして提示される。

映像を誰が送ったのかは明確には語られない。
消去法で考えるなら、最後に関わった地震学者が送った可能性もあるし、政府内部から流出したと見ることもできる。

いずれにしても、あえてはっきりさせないことで、「これは本当に隠蔽された映像なのではないか」というモキュメンタリー特有の余韻が残る。

さらにエピローグでは、当時のノルウェー首相の実在映像を加工したような形で、政府がトロールの存在を認めたかのような場面が挿入される。

もちろん映画上の演出ではあるが、実在の会見映像を利用し、そこに作中人物であるフィンを合成し、文脈をずらして見せるやり方が非常にうまい。

「これは本当に現実の映像なのか?」
「政府は本当に何かを隠しているのか?」
「果たしてトロールは実在するのか?」

その真実は誰にもわからない。
だが、UMA系の作品としては、それくらいの余韻が一番ロマンがある。

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③考察・感想・まとめ

『トロール・ハンター』は、実は初見。そして、めちゃくちゃ面白かった良かった!!きくらげの中で1発殿堂入り!

客観的にみても、これは名作といえるモキュメンタリーだったと思う。

「本物の記録映像である」と押し切るには、CGの多用がやや目立つ。
特に現代の目で見れば、さすがに完全な実録映像として信じ切るのは難しい部分もある。

しかし、映像作品としては非常によくできている。

POVやモキュメンタリーという形式は、低コスト映画の手段として使われることも多い。
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『REC』のように、カメラの不安定さ、限定された視界、暗闇、混乱を武器にする作品も多い。

だが『トロール・ハンター』は、それらとはまた違う。

陰鬱にしすぎない。
謎を引っ張りすぎない。
トロールの存在を出し惜しみしない。

トロールはいる。
しかも、かなり早い段階からしっかり出てくる。

ここが良い。

「何かがいるかもしれない」という恐怖ではなく、
「いる。デカい。危ない。しかも政府が普通に処理している」
という方向で押してくる。

この割り切りによって、本作は単なるUMA映画でも、怪獣映画でも、パニック映画でもない独特の立ち位置に到達している。

一番近い言い方をするなら、これは「闇稼業のドキュメンタリー」である。

ハンスは伝説の戦士ではない。
トロールを倒す選ばれし勇者でもない。
政府に雇われ、危険な仕事をやらされ、現場で愚痴をこぼしながら、それでも職務をこなしている男である。

この現場感が素晴らしい。

普通なら、トロール退治という題材はもっとファンタジー寄りに振られる。
あるいは、怪獣パニックとして人間がただ逃げ惑う話になりやすい。

しかし本作は違う。

トロールを「業務」にしている。

そこには、報告、隠蔽、移動、現場確認、対策、処理、政治、自然保護、送電線、被害偽装、担当者同士のやり取りがある。

この「非日常を、日常の業務へ変換する」作りが、本当にうまい。

そしてここは、日本映画の『最強殺し屋伝説国岡』シリーズにも通じる部分がある。

『最強殺し屋伝説国岡 グリーンバレット』では、アシスタントカメラマン役の人物が、合宿初日の夜の反省会で「トロールハンターみたいなガチなやつが作りたい」と言い、さらに「あれは本物ですよ、ガチです」と信じ切っているような発言をする。

これが非常に面白い。

単なる映画ネタとして笑えるだけではなく、実際に『国岡』シリーズと『トロール・ハンター』はかなり近い方向性を持っている。

『トロール・ハンター』は、トロールというファンタジー上の存在を、現実の特殊業務として描く。

『国岡』シリーズは、殺し屋という非日常の職業を、妙に生活感のある密着ドキュメンタリーとして描く。

どちらも、普通なら派手に演出される題材を、あえて現場仕事として見せる。

トロール退治も殺し屋稼業も、ジャンル映画としては盛りやすい題材である。
強い敵、派手なバトル、格好いい決め台詞、裏社会のロマン、伝説的存在。
そういう方向にもいくらでも振れる。

だが、両作はそうしない。

むしろ、こう見せる。

「実際にそんな仕事があったら、現実はこんなもんでしょ?」

そこには段取りがある。
愚痴がある。
面倒な人間関係がある。
仕事としての疲労がある。
撮影されている側の気まずさがある。
格好よさよりも、日常と業務の生々しさがある。

この現場感、日常感こそが、本物らしさを生む。

ファンタジーや作り物ではない感じ。
「みんなはもっと派手なものを想像しているかもしれないけど、実際に現実に存在したらこんな感じだよ?」という見せ方。
その生々しさが、両作品には共通している。

さらに『最強殺し屋伝説国岡 フレイムユニオン』でも、またトロールネタが出てくる。

「サングラスをかけたトロールがいるっていう動画が話題になってまして、ぼくははなから信じてなかったんですけどーーー」

このくだりには笑ってしまう。

おまえどんだけトロール好きなんだ、と言いたくなる。

だが、これは単なる小ネタではないと思う。
坂元裕吾監督の国岡シリーズの作風は、本当に『トロール・ハンター』を源流のひとつとしていて、その方法論をかなり踏襲しているように見える。

もちろん題材はまったく違う。
トロールと殺し屋では、ジャンルも国も文化も違う。

それでも、根っこにある発想はかなり近い。

「すごい世界を見せる」のではなく、
「すごい世界で働いている人の日常を見せる」。

ここが共通している。

だから『国岡』シリーズは、ただの殺し屋映画ではなく、殺し屋という職業の生活感と業務感を描く作品として面白い。
そしてその作りは、『トロール・ハンター』を観てから見ると、確かに同じ血筋を感じる。

『トロール・ハンター』は、2010年頃の作品であり、日本では2012年前後に知られていった作品という印象がある。
その時点で、ここまでモキュメンタリーの形式を使いこなし、非現実を現実の制度や労働に接続していたのは、かなりすごい。

モキュメンタリー映画の完成形のひとつと言っていい。

ブレア・ウィッチ型の「見えない恐怖」でもない。
『REC』型の「閉鎖空間パニック」でもない。
ただのフェイクドキュメンタリーでもない。

『トロール・ハンター』は、モキュメンタリーを使って、
「もし神話上の存在が現代社会に実在したら、それはどのように管理され、隠され、処理されるのか」
を描いた作品である。

この視点が強い。

トロールを出すだけなら、ただの怪物映画になる。
だが、そこに政府、送電線、自然保護、被害偽装、専門職、現場労働者、記録映像、流出資料という要素を重ねることで、作品世界に厚みが生まれている。

いろんな側面がふんだんに折り込まれているから、見方によって楽しみ方がいくつもある。

UMA映画として観ても面白い。
怪獣映画として観ても面白い。
モキュメンタリーとして観ても面白い。
職業ものとして観ても面白い。
政府隠蔽ものとして観ても面白い。
社会風刺として観ても面白い。
映像制作の教材として観ても面白い。

この多層性が、本作の強さだと思う。

特に映像関係の仕事を目指す卵たちには、ぜひ参考資料として観てもらいたい一作である。

高予算でなくても、設定の置き方、情報の出し方、現場感の作り方、登場人物の温度、カメラの存在理由、現実映像の加工、ジャンルの混ぜ方によって、ここまで面白い作品は作れる。

『トロール・ハンター』は、ただ「トロールが出てくる映画」ではない。

非現実を、現実の顔つきで見せる映画。
ファンタジーを、業務日誌に変換する映画。
怪物を、社会制度の中に置く映画。
そして、ありえない話を「実際こんなもんだろう」と思わせる映画。

そういう意味で、本作は本当に見事だった。

果たしてトロールは実在するのか。
政府はそれを隠蔽しているのか。
あの映像は誰が送ったのか。
首相の会見はどこまでが現実で、どこからが映画なのか。

真実は誰にもわからない。

けれど、それでいい。

UMA系のロマンとは、まさにその余白にある。

『トロール・ハンター』は、モキュメンタリー映画としても、UMA映画としても、後の作品に影響を与えた一作としても、かなり価値のある名作だった。


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