映画ファンの押し付けと、作品をどう観るか
映画ファンの押し付けと、作品をどう観るか
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①今回は映画単品でなく映画トークあるある
スター・ウォーズなどを軸に、よくある映画ファンの押し付けや偏見、批評、つまるところdisりまで、どうしてそうなっちゃうんだろう?という語りです。
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②今回の語りの展開
【起】
事の発端は、きくらげがリアルで「スター・ウォーズはあんまり好きではない」という話をしたところ、めちゃくちゃdisられた、という体験から、ChatGPTでスター・ウォーズ談義をしたことがはじまり。
そこで、スピルバーグとジョージルーカスって混同されがちだよね、ちゃんと切り分けないとね、なんて話をしました。
改めて整理すると『スター・ウォーズ』はジョージ・ルーカスの代表作であり、スピルバーグを語るなら、やはり『ジョーズ』『ジュラシック・パーク』が別格だという話になった。
『ジョーズ』は、サメそのものを見せ続けるのではなく、「海に入ることそのものが怖くなる」という見えない恐怖を映画として成立させた作品。
『ジュラシック・パーク』は、恐竜を怪獣ではなく、本当にそこにいる生物として映画館に出現させた作品。
どちらも、日本の映画文化ではすでにやっていたとは言いにくい、かなり独自の到達点がある。
日本には怪獣映画も特撮もあるし、ゴジラという大きな文脈もある。けれど『ジョーズ』の「見えない海洋パニック」や、『ジュラシック・パーク』の「生物としての恐竜の実在感」は、やはり別種の映画体験だった。
『ジュラシック・パーク』は子供の頃に劇場で観たときの衝撃が大きく、大人になってから改めて観ると、同じような危機一髪の展開が繰り返されて少したるむ部分も見える。けれど、それでも映像革命の先駆けとしての斬新さは圧倒的だった。
海洋堂が美術協力していたことは、日本人として誇らしい要素でもある。
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【承】
一方で『スター・ウォーズ』については、世界的な巨大作品であり、シリーズブランドとしての完成度や影響力は疑いようがない。
ただし、映像そのもののファンとして観ると、そこまで高い評価はつけにくいところがある。
CGやVFXの使い方が前に出すぎていて、画面が浮いて見えることがある。映像が軽く、現実の質量感が薄い。ストーリー面でも、日本人としてはガンダムや日本アニメ、時代劇、戦争ものなどを通っているため、帝国と反乱軍、血筋と宿命、親子の因縁、師匠と弟子、巨大兵器、腐敗した権力など、かなり既視感がある。
『スター・ウォーズ』は偉大な作品であることは間違いない。
ただ、「これぞSF映画の頂点」「SF映画の金字塔」と言われると、いや、そこは違うだろうと思う。
『スター・ウォーズ』はむしろ、宇宙を舞台にした神話劇、スペースオペラ、冒険活劇、ファンタジー、戦争映画、時代劇的要素の合成物であり、純粋なSFとしての思考実験性や、テクノロジーが人間存在や社会をどう変えるかという問いでは、他にもっと強い作品がある。
近未来SFとしてなら、『攻殻機動隊』は自分にとってどストライクで、頂点レベルの作品。
ただし『攻殻機動隊』も一般評価はかなり割れる。意味がわからない、話が早すぎる、世界観についていけない、とにかく難しい、と言われがちな作品でもある。
それでも、自分は「確かにあの作品は難しいもんね」と返せる。
初めて観たのは12歳くらいで、そのときはまったく意味がわからなかった。ただ、強烈な衝撃だけは残った。高校生くらいで再度観て理解が深まり、大人になってさらに理解が深まり、そしてAIやネットワーク、監視、身体性、自己同一性が現実味を帯びた現代になって、ようやく現実の延長線としてよりリアリティを増してきた。
作品の見え方は、観る年齢、経験、知識、時代背景で変わる。
だから「わからないから否定」は、少し違う。
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【転】
話は『ツイスター』にも広がった。
『ツイスター』は別監督作品だが、映像革命期の代表として非常に強い作品だと思う。
CG、VFX、特撮、情熱、科学的ロマン、そして日本人には生活実感として馴染みの薄い巨大竜巻の恐怖とリアリティ。
これらが全部揃っている。
『ツイスター』は、ただの災害映画ではない。竜巻を倒す話でもなければ、単に逃げるだけの映画でもない。
「竜巻を理解したい」 「中で何が起きているのか観測したい」 「自然現象の正体を知りたい」
という研究者たちの執念と、科学的ロマンが軸にある。
竜巻には意思も悪意もない。
でも圧倒的に怖い。美しい。巨大で、理解不能で、近づきたいけど近づけば死ぬ。
そこが非常に良い。
『ジュラシック・パーク』が恐竜を実在させた映画なら、『ツイスター』は竜巻という自然現象を映画館に出現させた映画だった。
しかも画面に土埃、湿気、風圧、重量、危険がある。今のCG災害映画にありがちな「すごいものが壊れているのに何も感じない」という軽さが少ない。
映像革命時代の最大作品として、個人的には『ツイスター』をかなり高く評価している。
そこから、映像美だけでは作品は成立しないという話にもなった。
『キュア 禁断の隔離病棟』、『ヴィレッジ』、『クリムゾン・ピーク』のように、映像美や美術、雰囲気は非常に高く評価できる作品もある。けれど、観終わったあとに「中身は薄かったな」と感じる作品もある。
映画に大事なのは、何を見せたいのか。何を伝えたいのか。
これは映画に限らず、小説、漫画、アニメでも同じ。
創作だからこそ、【何】が大事になる。
綺麗な画面、豪華な美術、凝った世界観、良い音楽、魅力的な役者。それらはもちろん大切だが、それだけでは足りない。
最終的には、
この作品は何を見せたかったのか。 何を残したかったのか。 なぜこの形で作られたのか。
そこが弱いと、どれだけ美しくても作品としての重みは出ない。
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【結】
最終的には、スター・ウォーズそのものというより、「スター・ウォーズを絶対視して他人の映画観を裁くファン」の話になった。
スター・ウォーズを好きなのはいい。
人生の一本にするのもいい。
あの世界観、キャラクター、歴史、ファンダムを愛するのも自由。
ただし、
「スター・ウォーズの良さがわからないやつは映画がわかっていない」 「B級映画を好む人間は浅い」 「大作を崇めないのは逆張り」 「この作品を好きじゃないのはセンスがない」
というように、他人の感受性を殴りにいくのは違う。
それをやると、作品そのものの価値まで落としてしまう。
スター・ウォーズ好きには嫌な人が多い。 だからスター・ウォーズも苦手になる。
そういう流れは普通に起こる。
本来、ファンの解説は相手を攻撃するためではなく、入口を開くためにあるべきだと思う。
「ここを見ると面白いよ」 「この時代にこれをやっていたのがすごいんだよ」 「この設定はこういう意味なんだよ」 「自分はここが好きなんだよ」
そう語られれば、刺さらなかった作品でももう一度観てみたくなることがある。
自分には刺さらなかった作品でも、好きな人から良い解説を聞くと、再度観て理解が深まることもある。評価が変わることもある。
だからこそ、「わからないから否定」も違うし、「わからない人を見下す」も違う。
映画は一回で全部わかる必要はない。
年齢や経験で育つ見方もある。
時代が追いついて評価が変わる作品もある。
そして、そういう変化まで含めて映画や創作は面白い。
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③考察・感想・まとめ
今回の話の核は実は、スター・ウォーズの好き嫌いそのものではない。
もちろん『スター・ウォーズ』は偉大な作品だと思う。
きくらげも好きではないけど観てはいる。
シリーズブランドとしての完成度、世界観の浸透度、映画史・ファンダム史における影響力は疑いようがない。
ただ、自分の映画評価軸で見ると、映像の質量感やリアリティ、ストーリーの密度、SFとしての深さという点で、どうしてもそこまで高く置けない。
『スター・ウォーズ』は宇宙を舞台にした神話であり、スペースオペラとしては非常に強い。
けれど、近未来SFやSF的思考実験として考えるなら、『攻殻機動隊』のような作品のほうが自分には圧倒的に刺さる。
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また、映像革命として考えるなら、『ジョーズ』『ジュラシック・パーク』『ツイスター』のほうが、自分の中では強い。
『ジョーズ』は、見えない恐怖を映画文法で成立させた。
『ジュラシック・パーク』は、恐竜を怪獣ではなく生物として実在させた。
『ツイスター』は、竜巻という自然現象を、科学的ロマンと恐怖を伴って体験化した。
これらは、単なる映像の派手さではない。
作品が「何を見せたいか」が明確だった。
だから今観ても残る。
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一方で、映像美だけなら素晴らしい作品もある。
『クリムゾン・ピーク』の美術や色彩、衣装、ゴシックホラーとしての画面は本当に美しい。
『ヴィレッジ』も閉鎖共同体や森、色彩、不穏な空気には強い魅力がある。
『キュア 禁断の隔離病棟』のように、質感や雰囲気の作り込みが印象に残る作品もある。
ただ、そこに「何を見せたいのか」「何を伝えたいのか」という芯が弱いと、最終的には「綺麗だったけど中身は薄かったな」という感想になる。
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これはB級映画にも通じる。
B級映画は低予算で、荒さも多い。役者もセットもCGも限られている。けれど、そのぶん「何を見せたいか」が明確な作品は本当に強い。
この恐怖を見せたい。 この不快感を刺したい。 この怪物だけは見せたい。 この人間の愚かさを描きたい。 この一点突破で観客に残したい。
そういう軸があるB級映画は、普通に名作になりうる。
だから、B級映画を一括りにして馬鹿にする見方は、本当にもったいない。
大作には大作の勝ち方がある。 B級にはB級の勝ち方がある。 低予算には低予算の研ぎ澄まされ方がある。 欠点だらけでも一点突破で忘れられない作品がある。
映画の魅力は、そんな狭い範囲には収まらない。
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自分にとって『攻殻機動隊』は近未来SFの頂点レベルの作品だ。
でも、あの作品が難しいのもわかる。
意味がわからない、話が早すぎる、世界観についていけない、と言われても、それは仕方ないと思える。
実際、自分も12歳くらいで初めて観たときは、まったく意味がわからなかった。
ただ、衝撃だけは強烈に残った。
その後、高校生になって再度観て理解が深まり、大人になってさらに理解が深まり、現代になってAIやネットワーク、監視、個人情報、身体性、自己同一性が現実味を帯びたことで、よりリアルな近未来SFとして見えるようになった。
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作品は、観る側の年齢や経験や時代によって変わっていく。
だから、初見でわからなかったからといって、その作品に価値がないとは言えない。
逆に、好きな作品だからといって、他人にも同じ熱量で受け取れと押し付けるのも違う。
本当に作品が好きなら、相手を攻撃するのではなく、入口を開く語り方をしたほうがいい。
「わからないやつはダメ」ではなく、 「ここを見ると面白いよ」でいい。
「センスがない」ではなく、 「自分はここに刺さった」でいい。
「B級なんて下」ではなく、 「その作品はどこが面白いの?」と聞ければいい。
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スター・ウォーズに限らず、熱いファンが他人を攻撃すると、その作品そのものの印象まで悪くなる。
スター・ウォーズ好きには嫌な人が多い。 だからスター・ウォーズも苦手。
そうなってしまうのは、本当に作品にとっても損だと思う。
作品そのものとファンの態度は本来別だが、人間の感情としては切り離しにくい。
だからこそ、好きな作品を語るときほど、他人の感受性を尊重したほうがいい。
映画は、どれが絶対に偉いかを決めるものではない。
どこに感動するか。 何を重視するか。 どの粗を許せるか。 どの一点に価値を感じるか。
それは人によってまったく違う。
『スター・ウォーズ』を人生の一本にする人がいていい。 『ジョーズ』や『ジュラシック・パーク』を映画革命として見る人がいていい。 『ツイスター』を映像革命時代の最大作品だと考える人がいていい。 『攻殻機動隊』を近未来SFの頂点と見る人がいていい。 B級ホラーにこそ創作の芯を見る人がいていい。
その全部が映画の面白さだと思う。
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結局、大事なのは、自分の好きなものを基準にして他人を裁かないこと。
そして、わからない作品にも少しだけ余白を残しておくこと。
今は刺さらなくても、数年後に刺さるかもしれない。 解説を聞いたらもう一度観たくなるかもしれない。 時代が追いついて、急にリアリティを持つかもしれない。
そういう変化まで含めて、映画は面白い。
だから、スター・ウォーズは偉大。
でも、スター・ウォーズを絶対基準にして他人の映画観を裁く態度は、映画の豊かさを取り逃がしている。
作品愛は、他人を殴るためのものではない。
本当に好きなら、その作品の入口を広げる語り方をしたい。
そして自分もまた、わからなかった作品に対して、すぐに否定で閉じず、少しだけ開いたままにしておきたい。
映画は一回で終わらない。
観る人の人生や時代と一緒に、何度も見え方を変えていく。
そこが、映画という創作の一番面白いところだと思う。
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