『シャイニング』の個人的な感想・考察
『シャイニング』の個人的な感想・考察
①『シャイニング』(1980年・アメリカ・監督:スタンリー・キューブリック)
原作:スティーヴン・キング
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②あらすじ
【起】
作家志望のジャック・トランスは、冬季閉鎖される山奥の巨大ホテル「オーバールック・ホテル」の管理人として採用される。
妻ウェンディと幼い息子ダニーを連れ、雪に閉ざされる期間、ホテルで暮らすことになる。
ホテルはとても大きく、外観も内装も美しい。
だが同時に、妙に人を圧迫する空間でもある。広い廊下、無人のロビー、人気のない部屋、どこまでも続くような館内。
外界から切り離されたその場所には、過去に管理人が家族を殺したという凄惨な事件も残されていた。
さらにこのホテルは、先住民の墓地の上に建てられたという背景も示される。
つまり最初から、単なる山奥のリゾートホテルではなく、土地そのものに穢れや罪の記憶が染みついている場所として提示されている。
一方、息子のダニーには「シャイニング」と呼ばれる不思議な力がある。
未来なのか過去なのか、遠くの出来事なのか、ホテルに残された記憶なのか判然としない映像を、白昼夢のように見る。
その力は、ダニーの中では「トニー」という別人格めいた存在を通して現れる。
【承】
一家がホテルでの生活を始めると、閉鎖環境の重圧が少しずつ強まっていく。
ジャックは元々、かなり危うい人物として描かれている。
アルコール依存の過去があり、息子ダニーに暴力を振るった過去もある。
作家としての行き詰まり、夫として父としての未熟さ、家族に対する支配欲、苛立ち、自己正当化。
そうしたものを抱えた男が、雪で完全に閉ざされたホテルに入ることで、徐々に追い詰められていく。
ウェンディは、最初はとても弱々しく見える。
夫の顔色をうかがい、怒らせないようにし、どこか常に怯えている。
その姿は、単なるホラー映画の悲鳴担当ではなく、DV家庭の中で生きてきた母親像として見るとかなり生々しい。
夫が怖い。けれど子どもを守らなければならない。
その弱さと母親としての強さの両方が、シェリー・デュヴァルの演技には出ていた。
ダニーはホテルの異常を敏感に感じ取る。
血の洪水、双子の少女、謎めいた言葉、過去の惨劇のイメージ。
だがそれらは明確な説明を伴わず、予知なのか、過去視なのか、霊的感応なのか、本人にも観客にも判然としない。
「シャイニング」という能力は、映画版ではストーリーを解き明かす鍵というより、観客の現実感を揺さぶる撹乱装置に近い。
【転】
やがてジャックはホテルに取り込まれていく。
ホテルのバーに現れる存在、過去の管理人、舞踏会のような幻影。
それらはジャックの狂気が見せているものなのか、ホテルの霊障なのか、あるいは両方なのか、はっきりとは区別されない。
ただ確かなのは、ジャックの中に元々あった暴力性や支配欲を、ホテルが増幅しているということだ。
ここがこの作品の二面性だと思う。
ひとつは、DV家庭と閉鎖環境による心理崩壊の話。
すでに危うい父親が、孤立と失敗感と被害者意識によって壊れていく話。
もうひとつは、先住民の墓地の上に建てられ、過去に何度も凄惨な事件を起こしてきたホテルの霊障の話。
場所そのものに蓄積された悪意や穢れが、人間を取り込み、過去の惨劇を再演させようとする話。
だからこれは、「精神異常なのか、霊障なのか」のどちらか一方ではない。
壊れかけた人間と、呪われた場所が噛み合ってしまった話だと思う。
ジャックは完全に家族へ牙をむく。
ウェンディとダニーは、ホテルとジャックの両方から逃げなければならなくなる。
【結】
終盤、物語は雪に閉ざされたホテルでの逃走劇になる。
ダニーは庭の巨大な植木迷路へ逃げ込み、ジャックは斧を持って追いかける。
この迷路は単なる舞台装置ではなく、作品全体の構造とも重なっている。
ホテルの廊下も迷路。
ジャックの精神も迷路。
ダニーの見る予知や幻視も迷路。
家族関係そのものも、出口の見えない迷路のようになっている。
ダニーは足跡を利用してジャックを撒き、ウェンディとともに脱出する。
ジャックは迷路の中で凍死する。
しかしラストには、過去の写真の中にジャックが写っているような不可解な映像が示される。
ジャックはホテルに取り込まれたのか。
最初からホテルの一部だったのか。
あるいはホテルがまた新たな惨劇を自分の歴史に組み込んだのか。
はっきりした答えは提示されない。
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③考察・感想・まとめ
『シャイニング』は、昔から「めちゃくちゃ怖いホラー映画」として語られてきた作品だ。
けれど久しぶりに観ると、思っていたより記憶に残っていなかったし、現代の感覚ではかなりたるんで感じる部分もあった。
もちろん、映画としてのクオリティが高いことはわかる。
当時としては衝撃作だったことも理解できる。
役者の演技も良い。
特にジャック・ニコルソンの顔芸レベルの狂気は、あのホテルの異様な雰囲気には合っていた。
普通の父親がじわじわ壊れるというより、もともと危険な男が、ホテルに背中を押されて怪物化していく感じがある。
その意味では、映画版ジャックはかなり早い段階から「この人は絶対に危ない」と見える。
一方でウェンディの演技も良かった。
弱々しく、夫に怯え、言い返せず、常に顔色をうかがっている。
けれどダニーを守る段階になると、母親として踏みとどまる。
DVを受ける母親像と、子を守る母親の強さが両方ある。
ここは現代目線で観てもきちんと伝わる部分だった。
ただ、ストーリーとして現代人に刺さるかというと、なかなか難しい。
同じ古典ホラーでも、『サイコ』のほうが今観ても「これは当時としては衝撃だっただろうな」と感じやすかった。
『サイコ』は脚本と構造が強い。
序盤の主人公交代、モーテルという限定空間、ノーマンの異様さ、母親の存在、シャワーシーン、最後の真相。
現代の観客でも、物語の骨格としてインパクトを受け取りやすい。
それに対して『シャイニング』は、物語の衝撃よりも、空間・間・音・構図・不可解さで押してくる作品だと思う。
だからストーリーを追う感覚で観ると、どうしても肩透かしになる。
「シャイニング能力は結局なんだったのか」
「ホテルの呪いのルールは何なのか」
「ジャックはどこから狂ったのか」
「最後の写真はどういう意味なのか」
こうした疑問は、明快には回収されない。
その余白を怖いと感じる人には名作だが、物語としての密度や展開の強さを求めると、少し薄く感じる。
私の感覚としては、『シャイニング』は怖い映画というより、呪われたホテルで穢れに障る話に近い。
先住民の墓地の上に建てられたホテル。
そこに積み重なった過去の惨劇。
閉鎖空間の重圧。
DV家庭の歪み。
父親の暴力性。
アルコール依存、挫折、支配欲、自己正当化。
それらが全部混ざって、ジャックを過去の惨劇の型へ押し込んでいく。
つまり、ただ幽霊が人を襲う話ではない。
また、ただ精神異常の父親が家族を襲う話でもない。
壊れかけた人間が、穢れた場所に入ってしまい、その場所に利用される話なのだと思う。
ダニーの「シャイニング」についても、映画版だけで見ると、完全な未来予知というより、人間の持つ摩訶不思議な力の極端な発露に見えた。
私の感覚では、あれは「計測型の未来予知能力」に近い。
脳が状況、気配、危険因子、過去の残響、父親の暴力性、母親の怯え、ホテルの異常性を異常な精度で読み取り、高確率で起こり得る未来の形を抽象的に見せている。
だから完全な未来予知ではない。
予言というより、危機察知に近い。
しかしダニーはまだ子どもだ。
その情報量は、子どもの脳のキャパシティを超えている。
だからトニーという別人格のようなフィルターを作って、危険情報を受け取っている。
その結果、見えるものは断片的で、不安定で、過去なのか未来なのか、予知なのか遠視なのか、霊的感応なのかわかりにくい形になる。
この能力系の描写は、別ジャンルでもしばしばある。
「未来を見る」のではなく、膨大な情報から未来を演算しているタイプ。
「霊を見る」のではなく、場に残った情報を感知して映像化しているタイプ。
「予知夢」に見えるが、実際は無意識が危険を整理して夢の形で警告しているタイプ。
ダニーのシャイニングも、映画版ではその中間にある能力に見える。
ただ、原作ではもう少し違うらしい。
原作のダニーの能力は、映画よりはっきりしていて、予知、読心、遠隔感応、霊的感知が混ざった強いサイキック能力として描かれている。
ハロランも同じ系統の能力者で、能力者同士の精神的なつながりも重要になる。
さらにトニーの正体も、単なる空想の友達や別人格ではなく、未来のダニー自身、あるいは成長したダニーの可能性に近い存在として扱われる。
そうなると、原作通りに映画化しようとすると、かなりテイストが変わる。
というか、ほとんどジャンルが変わる。
キューブリック版は、心理ホラー、閉鎖空間ホラー、呪われた場所の不穏映画という色が強い。
ホテルという空間が怖い。
父親が壊れていくのが怖い。
何が本当なのかわからないのが怖い。
しかし原作寄りにすると、もっとはっきり超能力ホラー、霊的バトルに近い家族崩壊ホラーになる。
強い力を持つ子どもが、悪意あるホテルに狙われる話になる。
ホテルがなぜダニーを欲しがるのか、ハロランとの能力者同士のつながり、トニーの意味、ジャックの悲劇性。
それらが物語の中心になる。
これはこれで、かなり面白そうだと思った。
むしろ今だからこそ、『シャイニング』はリブート向きだと思う。
『シャイニング』は名作ではあるが、同時に素材映画でもある。
巨大な呪われたホテル。
雪で閉ざされた閉鎖空間。
DV気質のある父親。
逃げ場のない母子。
先住民の土地に積み重なった罪。
過去の惨劇。
超能力を持つ子ども。
ホテルに蓄積された死者の記憶。
現実と幻覚の境界崩壊。
これだけ材料が揃っている。
現代的に再構成すれば、かなり強い作品になるはずだ。
リブートするなら、キューブリック版をなぞるのではなく、原作寄りの新映画化として作るのがいいと思う。
ジャックは最初から怪物ではなく、弱さを抱えた父親として描く。
アルコール依存、創作の行き詰まり、男としての劣等感、家族への支配欲、DV加害者特有の自己正当化。
そこへホテルがじわじわ干渉し、本人の暴力性を増幅していく。
ウェンディは、ただ叫ぶ母親ではなく、長年の支配関係から抜け出せない人が、子どもを守るために最後の最後で覚醒する話として描く。
ここを厚くしたら、現代の観客にもかなり刺さるはずだ。
ダニーのシャイニング能力も、便利な特殊能力ではなく、負荷の大きい感覚器官として描く。
過去の惨劇を見る。
危険な未来を見る。
遠くの能力者とつながる。
けれど子どもの脳では処理しきれず、トニーという人格化インターフェースを通してしか受け取れない。
そうすれば、能力ものとしても心理ホラーとしても成立する。
ただし、全部を説明しすぎると安っぽくなる危険もある。
『シャイニング』の強みは、「何かよくわからないけど、この場所はおかしい」という気持ち悪さでもある。
だから現代リブートでは、心理描写は濃くする。
ホテルの悪意やルールは整理する。
でも核心は説明しきらない。
このバランスが大事だと思う。
キング作品は、すでに時代ごとに何度も映像化されている。
『キャリー』もそうだし、『チルドレン・オブ・ザ・コーン』も何度か映像化されている。
『ミスト』も新たなリブート企画が進んでいるらしい。
そう考えると、『シャイニング』もいつか来る可能性は十分ある。
ただしキューブリック版の影が大きすぎるので、単なるリメイクではなく、「原作準拠の再映画化」として来るのが一番意味があると思う。
そして、今回改めて見て強く感じたのは、物語以上にセットと撮影のすごさだった。
映画のオーバールック・ホテルは、実在するホテルそのものではない。
外観はオレゴン州のティンバーライン・ロッジが使われ、原作の着想元はコロラド州のスタンリー・ホテル。
内装は主にスタジオセットで作られている。
庭の植木迷路も映画用のセット、あるいは演出上の造形だ。
それを知ると、あの映画のすごさはまた別の角度から見えてくる。
ホテル内部は相当に大掛かりなセットだったはずだ。
人物の動きに合わせてカメラが移動し、長い廊下を進み、曲がり角を曲がり、広いロビーを歩く。
カットでごまかすのではなく、空間をそのまま移動して見せる。
そのためには、俳優の導線、カメラの導線、照明、壁の配置、廊下の長さ、曲がるタイミングまで、かなり計算されていなければならない。
ダニーが三輪車でホテル内を走るシーンなどは、その代表だと思う。
絨毯の上と硬い床で音が変わり、カメラは低い位置で滑るようについていく。
廊下は妙に長く、曲がり角の先に何があるかわからない。
あれは「何か出るかも」という怖さ以上に、ホテルそのものが生き物のように感じる場面だった。
迷路もまた、ただの終盤用の舞台ではない。
ホテル内部の廊下も迷路。
庭の植木迷路も迷路。
ジャックの精神も迷路。
ダニーの予知も迷路。
この重ね方は上手い。
外観のホテルも、とてもオシャレで良かった。
山岳ホテルとしての重厚感があり、豪華すぎず、しかし普通の宿ではない風格がある。
雪山にぽつんと建っているだけで、「ここは冬に閉ざされる場所だ」とわかる説得力があった。
だから『シャイニング』は、今観るとストーリーそのものはそこまで刺さらない。
怖さも、現代ホラーに慣れているとそこまでではない。
むしろ、呪われたホテルで穢れに障る話、という感覚のほうが強かった。
けれど、映画としての格は確かにある。
役者の演技、美術、セット、カメラワーク、音、空間の使い方。
それらは今観ても見所がある。
物語としては古くなった部分もある。
だが、素材としては今でも強い。
だからこそ、いつか原作寄りの現代版リブートが来るなら、かなり楽しみだと思った。
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