『サリー 死霊と戯れる少女』の個人的な感想・考察

『サリー 死霊と戯れる少女』の個人的な感想・考察


①『サリー 死霊と戯れる少女』(2012年・イギリス・監督:パット・ホールデン)

原題:When the Lights Went Out

ポンテフラクトの黒い修道僧事件/30 East Drive のポルターガイスト事件をモチーフにした実話系ホラー。


────────────────────────

②あらすじ

1974年、イギリス・ヨークシャー。

サリーは両親と共に、新しい家へ引っ越してくる。

一家は裕福ではなく、公営住宅の順番待ちをしていたような労働者階級の家庭。ようやく手に入れた新居ということもあり、両親はその家に強く執着していた。

しかし家の中では、引っ越し直後から不可解な現象が起こり始める。

物音、物の移動、不自然な気配、そしてサリーの周囲で起きる怪異。

サリーは学校でも孤立気味で、家庭の中でも十分に守られているとは言いがたい。父親は粗暴で酒に逃げ、母親も余裕がない。喫煙、飲酒、体罰、怒鳴り声が日常にあるような空気感は、1970年代イギリスの労働者階級の荒れた生活感として描かれている。

────────────────────────

怪異は次第に強くなっていく。

サリーは家の中にただならぬ存在がいることを感じ取り、怯えるが、両親は最初から素直に信じるわけではない。

母の友人リタと、その夫またはパートナーと思われるブライアンも登場する。リタは母と同じ美容院関係の職場にいるようで、ブライアンは父親の友人・飲み仲間のような位置づけ。

ただ、この二人は物語の核に深く関わるというより、時代背景や家族周辺の生活感を盛るための脇固めキャラという印象が強い。

また、サリーは学校でルーシーという少女と近づく。

ルーシーもどこか孤独で、サリーと似たように周囲から浮いている子として描かれる。大きな謎解き役ではなく、サリーが完全に孤立しているわけではないこと、そしてサリー自身が家庭でも学校でも居場所を持ちにくい子であることを補強する存在だったと思う。

やがて一家は、民間の祓い屋、あるいは降霊・霊交信を行う二人組に助けを求める。

彼らは霊と接触しようとするが、決定的な解決には至らない。

────────────────────────

家に巣食う存在の正体として、黒い修道士の霊が浮かび上がってくる。

その修道士は、かつて少女たちを辱め、教会によって内々に処理され、絞首刑になった存在だと語られる。

さらに、被害者である少女の霊もこの家に残っているように描かれる。

ここから映画は、単なるポルターガイストではなく、加害者である修道士の霊と、被害者少女の霊という因縁構造へと踏み込んでいく。

父親たちは生臭い神父を脅すような形で悪魔祓いに関わらせる。

神父は酒や女にだらしなく、とても本気で霊に対抗できる人物には見えない。だが一応、儀式めいたことは行われる。

しかし、当然のように根本的な解決にはならない。

黒い修道士の霊はあまりにも強く、サリーへの脅威は続いていく。

────────────────────────

終盤、サリーは少女のロケットを電気ヒーターに投げ込む。

それによって火が上がり、被害者少女の霊が現れる。

少女の霊は、黒い修道士の霊に立ち向かい、最終的に修道士の霊を退ける。

サリーは助かり、怪異は収束へ向かう。

ラストでは、この物語が実際の事件を基にしていること、そして事件後の話まで示される。

映画は「実話系ホラー」として幕を閉じる。

────────────────────────


③考察・感想・まとめ

この映画、観ている最中は正直かなりわかりにくかった。

まず1974年イギリスという時代背景がわからないと、家族の状況が掴みにくい。

なぜあそこまで生活に余裕がなさそうなのか。

なぜ両親があの家に執着するのか。

あの家は賃貸なのか購入なのか。

パパは何をしているのか。

リタとブライアンは何者なのか。

ルーシーは何のためにいるのか。

このあたりが、映画内ではかなり説明不足だった。

調べて整理すると、舞台になっている1974年イギリスは、石油危機、不況、停電、労働争議などが重なっていた時代。

あの薄暗さ、荒れた家庭、喫煙、飲酒、怒鳴り声、体罰、生活の余裕のなさは、単なるホラー演出ではなく、当時の労働者階級の空気をかなり反映している。

そうわかると、世界観はかなりしっくりくる。

一家は「念願のマイホーム」を手に入れたように描かれるけれど、実際のモチーフになった事件は公営住宅系の家で起きたポルターガイスト事件。

日本の感覚でいう完全な戸建て購入というより、公営住宅・市営住宅のテラスハウス型住戸にようやく入れた、という感じで見るとわかりやすい。

だから両親は、霊が出たからといって簡単には家を手放せない。

やっと得た生活の拠点だからこそ、怪異よりも「ここを失うこと」のほうが現実的な恐怖として重くのしかかっている。

この背景部分は、かなり良かったと思う。

────────────────────────

ただ、問題はここから。

時代背景や生活感は良い。

家の雰囲気も悪くない。

貧しい家庭の閉塞感もある。

孤独な少女サリーという主人公配置も悪くない。

黒い修道士という題材も強い。

部品は本当に悪くない。

でも、それらがただ順番に並べられているだけで、互いに絡み合っていない。

だから映画全体としては、かなり薄っぺらく見えてしまった。

リタとブライアン、ルーシーあたりは、盛りキャラとしては別にいい。

リタは母親の友人・同僚、ブライアンは父親の悪友、ルーシーはサリーと同じく孤独な子。

このへんは脇固め要員として納得できる。

でも、民間の祓い屋二人組はかなり疑問だった。

降霊や霊交信をするなら、本来は物語の核心に触れる役であるべきだったと思う。

たとえば、少女の霊が助けを求めていること、黒い修道士に押さえつけられていること、ロケットが重要な依り代であること、そういう情報を段階的に引き出す役割にできたはず。

でも実際は、出てきて、騒いで、交信して、役に立たず終わる。

役に立たなかったことで「それほど強力な霊なのだ」と見せたいなら、それはそれでいい。

けれど、その強力さを支えるだけの霊側のドラマが足りない。

結果として、祓い屋も生臭神父も、ただの前座に見えてしまった。

────────────────────────

一番大きな問題は、ロケットだと思う。

ラストでサリーがロケットを電気ヒーターに投げ込み、それによって少女の霊が現れる。

少女の霊は黒い修道士の霊を撃退する。

この展開自体は、発想としては悪くない。

被害者少女の霊が、最後に加害者修道士の霊へ反撃する。

サリーがそのきっかけを作る。

構図だけなら、むしろ綺麗。

でも、そこに至るまでの積み上げが弱すぎる。

ロケットが、少女をこの世に縛っているものだった。

修道士が少女を支配するために隠したものだった。

少女が生前ずっと身につけていたものだった。

少女が死の直前に握っていたものだった。

サリーに見つけてほしくて、少女霊が怪異を起こしていた。

そういう因果があれば、ラストは納得できた。

でも映画内では、ロケットはほぼ「サリーが見つけて盗んだ遺物」に近い。

なぜそれを燃やすと少女の霊が解放されるのか。

なぜ少女はそれまで力を出せなかったのか。

なぜロケットが縛りになっていたのか。

その説明が薄い。

だからラストが、伏線回収ではなく、唐突なギミック発動に見えてしまう。

────────────────────────

しかも、実際のモチーフになった事件を知ると、余計に問題が見えてくる。

元ネタは、イギリス・ポンテフラクトの「黒い修道僧」事件、あるいは 30 East Drive のポルターガイスト事件。

実際の事件として語られているものは、普通の公営住宅系の家で起きた不可解なポルターガイスト現象が中心。

物が飛ぶ。

水が出る。

物音がする。

写真が破れる。

家族が怯える。

娘が階段で襲われたとされる。

黒いローブ姿の修道僧のような存在が目撃される。

そういう「原因不明の凶暴なポルターガイスト事件」なんだよね。

映画のように、明確な被害者少女の霊がいて、少女のロケットがあって、それを燃やしたら少女霊が解放されて、黒い修道士霊とゴーストバトルをする、という構造ではない。

つまり映画は、実際のポルターガイスト怪談を、加害者霊と被害者霊の対決構造に組み換えている。

これ自体は、別に絶対に悪いわけではない。

実話をモチーフにした映画は脚色されるものだし、映画として成立させるためにドラマを足すこともある。

でも、やるならガチで脚本を練らないとダメだったと思う。

ポルターガイスト系の実話怪談を、ゴーストバトルものに組み換えるなら、ほぼゼロベースで因果を作らないといけない。

少女霊と修道士霊の関係。

ロケットの意味。

サリーが選ばれる理由。

神父や祓い屋が失敗する理由。

なぜ最後だけ少女霊が勝てるのか。

そこを積み上げなければ、ただの「実話怪談に派手な創作要素を乗せただけ」になってしまう。

そしてこの映画は、まさにそこが弱かった。

────────────────────────

個人的には、実際の事件をモチーフにしたなら、ポルターガイスト系のままでよかったと思う。

別に少女の霊はいらない。

黒い修道士の霊、あるいは残留思念が家に残っている。

その無念、罪、隠蔽、名前を失ったこと、あるいは土地に封じ込められた何かが、ポルターガイスト現象として噴き出している。

そこに、家庭でも学校でも孤独なサリーがたまたまシンクロしてしまう。

だからサリーが主な被害者になる。

民間の祓い屋は、断片的な言葉や記憶を拾う役。

神父は、教会側の隠蔽や罪を象徴する役。

父母は、家を手放せない生活者として現実の重さを背負う役。

そして最後に、サリーが修道士の無念の元になった何かを見つける。

埋める。

祈る。

名前を取り戻す。

隠された事実を明るみに出す。

それによって、家に残っていた歪みがほどけ、ポルターガイストが収まる。

これくらいのドラマ密度で十分だったと思う。

そのほうが、実話系ホラーとしても、英国怪談としても、ずっと自然だったはず。

派手なゴーストバトルより、家に残っていたものが静かに解かれるほうが怖いし、後味も残る。

────────────────────────

さらに気になったのは、実話モチーフに対する態度。

監督本人の身内に関わる事件が元になっているので、外部の人間が軽々しく「失礼」と断じるものではないのかもしれない。

そこは難しい。

監督なりに、家族の記憶や当時の空気を残したかったのかもしれない。

実際、1970年代イギリスの生活感や労働者階級の荒れた空気はかなり丁寧だった。

でも、それでも映画として見ると、実際の事件の核を大事にしているようには見えにくかった。

元の事件が「原因不明のポルターガイスト現象に家族が苦しめられた」というものなら、本来描くべきは、当事者の恐怖、混乱、生活への侵食、周囲から信じてもらえない苦しさだったはず。

それを、加害者修道士、被害者少女、ロケット、霊媒師、生臭神父、ゴーストバトルという娯楽ホラーの部品に置き換えてしまうと、どうしても事件がオモチャにされたように見えてしまう。

しかも冒頭とラストで、実話であることや事件後の話まで押し出している。

これがまた中途半端だった。

実話系として見せたいのか。

実話を材料にした別物の創作ホラーとして見せたいのか。

立ち位置が定まっていない。

実話系として見ると、実際の事件の核からズレている。

創作ホラーとして見ると、少女霊とロケットの因果が浅い。

だから、どちらも立たない。

────────────────────────

この映画の評価は、背景を知ったからといって上がるものではなかった。

むしろ、背景を知ったことで「何をやりたかったのか」は理解できた。

1974年イギリスの不況。

停電。

労働者階級の家庭。

公営住宅的な新居への執着。

ポンテフラクトの黒い修道僧事件。

ポルターガイスト系の実話怪談。

監督の身内の体験。

そこまではわかる。

でも、わかったところで映画本体の問題は消えない。

むしろ、これだけ良い素材があったのに、なぜこうした?という残念さが強まった。

実話系ポルターガイスト映画としては、本核を外している。

創作ホラーとしては、因果と回収が甘い。

家族ホラーとしては、家庭や時代背景は良いのに、霊の本筋と絡みきらない。

教会ホラーとしては、隠蔽や罪のテーマが浅い。

少女の解放劇としては、サリーと被害者少女の結びつきが弱い。

結果として、雰囲気は悪くないのに、芯がぐらついた作品になってしまっている。

────────────────────────

評価としては、駄作。

ただし、最初からどうにもならない駄作ではない。

素材の時点で失敗している駄作ではなく、むしろ素材はかなり良い。

時代背景もある。

実話モチーフも強い。

黒い修道士という題材も良い。

ポルターガイスト現象という土台も良い。

公営住宅に入り込む怪異という生活密着型の怖さもある。

孤独な少女サリーという主人公も悪くない。

やりようによっては、かなり名作になれたと思う。

でも、中心線を間違えた。

実話怪談として怖がらせるべきだったのに、薄い創作怨霊ドラマに寄せた。

創作怨霊ドラマにするなら、ロケット、少女霊、修道士霊、サリーの孤独をきちんと一本の因果線で結ぶべきだったのに、それもできていない。

だからこれは、ただの駄作というより、紙一重の駄作。

名作になれる部品を持ちながら、構成判断のミスで落ちてしまった残念な駄作だった。

非常に勿体ない。

そして、なんとも言えない気持ちが残る映画だった。


ホラー館はコチラ↓

ホラー館

コメント

人気の投稿