『哭悲/THE SADNESS』の個人的な考察・感想
『哭悲/THE SADNESS』の個人的な考察・感想
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①『哭悲/THE SADNESS』(2021年・台湾・監督:ロブ・ジャバズ)
② あらすじ(起承転結・ネタバレあり)
起
台湾では、風邪に似た軽い症状を引き起こす「アルヴィン・ウイルス」が流行していた。
専門家はウイルスが危険な変異を起こす可能性を警告していたが、政府は選挙への影響を恐れて問題を軽視し、市民の間にも「大した病気ではない」という空気が広がっていた。
台北で暮らす恋人同士のジュンジョーとカイティンも、いつもと変わらない朝を迎える。
ジュンジョーはカイティンを駅まで送り、自分は帰宅途中にカフェへ立ち寄る。
しかしそこで、血まみれの老婆が客へ唾液を吐きかけたことをきっかけに、店内の人々が突然凶暴化する。
感染者たちは理性を失ったゾンビではなかった。
言葉を話し、人間としての知性や記憶を保ったまま、自分の中にある最も残虐で下劣な欲望を抑えられなくなっていた。
カフェは一瞬で虐殺の場となり、ジュンジョーも感染者たちから逃げることになる。
一方、地下鉄に乗っていたカイティンも、車内で始まった無差別殺傷に巻き込まれる。
こうして二人は離れ離れのまま、感染によって崩壊していく街の中で互いとの合流を目指す。
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承
地下鉄では、カイティンへ執拗に声をかけていた中年の会社員が感染し、傘を凶器にして乗客たちを襲い始める。
感染は車内へ一気に広がり、乗客たちは逃げ惑いながら互いを殺し合う。
カイティンは負傷した女性モリーを助け、駅員のケヴィンとともに地下鉄を脱出する。
三人はどうにか病院へ逃げ込むが、そこも安全ではなかった。
テレビでは政府関係者が事態を鎮静化しようとする一方、感染者による暴力は社会のあらゆる場所へ広がっている。
地下鉄でカイティンを狙っていた会社員も病院まで追ってきて、モリーへ凄惨な暴行を加える。
感染したモリーは自分を助けようとしたケヴィンを襲い、病院内はさらに地獄と化す。
一方のジュンジョーも、自宅へ戻ったところを感染した隣人に襲われ、指を切断されながら逃走する。
彼は混乱する街を進み、どうにかカイティンへ連絡を取る。
カイティンは病院で拾った他人のスマートフォンからジュンジョーとつながり、互いがまだ生きていることを確認する。
ジュンジョーは必ず病院へ迎えに行くと告げ、カイティンも彼を待つことを決める。
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転
カイティンは感染者となった会社員を消火器で殴り倒し、ウイルス研究者のウォン博士に保護される。
ウォン博士によれば、アルヴィン・ウイルスは感染者の大脳辺縁系へ作用し、人間が本来持っている暴力的・性的・加虐的な欲望を制御できなくする。
感染者はゾンビのように知性を失うのではない。
自分が何をしているのか理解し、相手の苦痛も認識しながら、それを楽しんで実行する。
だからこそ通常のゾンビよりも悪質で、狡猾で、残酷だった。
しかしウォン博士もまた、感染者を利用した非人道的な人体実験を行っていた。
彼は治療法を探すため、新生児へウイルスを投与しており、さらにカイティンにもウイルスを注射する。
それでもカイティンにはすぐに症状が現れなかったため、博士は彼女に抗体がある可能性を考え、救助用ヘリコプターが到着する屋上へ連れていこうとする。
そこへ、ようやくジュンジョーが病院へ到着する。
ところが彼もすでに感染していた。
ジュンジョーはカイティンを探す一心で病院まで来たが、その愛情はウイルスによって歪み、彼女を愛しているからこそ傷つけ、苦しませ、殺したいという欲望へ変わっていた。
ウォン博士はジュンジョーを撃つが、銃が途中で作動しなくなる。
ジュンジョーの反撃を受けた博士も、自分自身がすでに感染していたことを告白する。
感染した乳児を安楽死させる行為を、本当は楽しんでいた。
人類を救おうとする研究者に見えた彼も、すでにウイルスによって欲望を暴かれていたのである。
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結
重傷を負ったジュンジョーは、屋上へ続く階段の鉄格子越しにカイティンと向き合う。
カイティンはまだ彼を説得しようとする。
しかしジュンジョーは、彼女を愛していることは変わらないと語りながら、その愛する相手をどれほど残酷に苦しめたいかを嬉々として話す。
知性も記憶も愛情も残っている。
ただ、それらすべてが加虐欲へ変換されてしまった。
カイティンは彼がもう戻らないことを悟り、泣くのではなく笑い出す。
極限状態で壊れたのか。
あまりにも救いのないジュンジョーの言葉を、もはや笑うしかなかったのか。
あるいはカイティン自身にも感染の兆候が現れ始めていたのか。
明確には断定されない。
カイティンはジュンジョーを置いて屋上へ向かう。
間もなくヘリコプターの音が近づき、続いて銃声とカイティンの悲鳴が聞こえる。
ウォン博士は、軍は自分が一緒でなければカイティンを救助しないと警告していた。
その言葉どおり、博士を伴わず一人で屋上へ現れたカイティンは感染者と判断され、兵士に射殺された可能性が高い。
ジュンジョーもまた、階段の下で息絶える。
互いに再会するため、感染者だらけの街を進み続けた二人。
ようやく同じ場所へたどり着いたときには、ジュンジョーは怪物へ変わり、カイティンにも救いは残されていなかった。
期待どおり、誰も都合よく救われない。
感染によって社会も人間性も完全に崩壊したまま、物語は幕を閉じる。
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③ 考察・感想・まとめ
『哭悲/THE SADNESS』、全体としてかなり良かったです。
見た目だけなら、感染者が街中へあふれるゾンビパニック映画。
でも、この作品の感染者はゾンビではない。
死んでもいないし、知性も失っていない。
会話できる。
人の顔を覚えている。
道具を使える。
相手の心理を読める。
待ち伏せも追跡もできる。
そして、自分がやっていることの意味を完全に理解している。
だから、普通のゾンビとは怖さの方向がまったく違いました。
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ゾンビなら、基本的には捕食本能に従って襲ってくる。
相手を苦しませる方法を考えたり、恥辱を与えたり、恐怖を長引かせたりはしない。
知性を失った肉体が、本能のまま人を食う。
でも『哭悲』の感染者は違う。
人間の中にある一番醜い部分を、自制だけ外して全開にする。
暴力を振るいたい。
弱い相手をいたぶりたい。
他人の尊厳を壊したい。
相手が嫌がることを理解したうえで、最も嫌がる方法を選びたい。
そういう欲望を、知性を使って実行する。
なので、ゾンビというより、
人間の理性から良心と抑制だけを取り除いた存在
なんですよね。
これが良かった。
ゾンビ映画の形を使いながら、ゾンビではできない展開をしっかり作っていました。
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感染者が知性を持っているから、単純な「逃げる」「隠れる」だけでは済まない。
扉を閉めても開け方を知っている。
武器も使う。
こちらの言葉も理解する。
しかも、過去の人間関係まで利用してくる。
とくにジュンジョーの変化は、この作品の設定を一番わかりやすく示していました。
彼はカイティンを忘れていない。
むしろ、ずっと愛している。
その愛情が消えて怪物になったのではなく、愛情そのものが加虐欲と結びついてしまった。
愛する相手だから傷つけたい。
大切な相手だから、自分の手で壊したい。
カイティンの苦しむ姿を誰より近くで見たい。
愛情や記憶まで残しているからこそ、ただのゾンビより何倍も救いがない。
ここはかなり良かったです。
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グロ描写にも、しっかり力を入れていました。
感染者が暴れる作品で、肝心の流血や破壊描写を控えめにすると、どうしても設定負けしやすい。
でも『哭悲』は、そこを逃げなかった。
カフェ。
地下鉄。
病院。
街中。
場所が変わるたびに違う形の惨劇を見せ、感染者たちがどれほど歯止めを失っているかを映像で押し出してくる。
ただ血が多いだけではなく、相手が知性を持っているため、暴力そのものに悪意がある。
そこが普通のスプラッターホラーより嫌らしい。
目を背けたくなるような場面も多いけれど、この作品で中途半端に上品ぶる必要はない。
感染によって人間の最悪な欲望が解放される話なんだから、徹底して下劣で残酷でいい。
その点では、題材に見合った描写をきっちりやったと思います。
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一方で、物語の骨格自体はかなりシンプルです。
離れ離れになった恋人同士が、感染者で崩壊した街の中で合流を目指す。
ジュンジョーはカイティンのもとへ向かう。
カイティンは病院で彼を待つ。
途中で感染者や研究者と出会い、最後には二人が再会する。
この一本の線から大きく外れない。
設定もグロもかなり過激だけれど、ストーリーは意外と整理されていました。
余計な枝葉を増やさず、
感染拡大。
街の崩壊。
恋人同士のすれ違い。
再会。
破滅。
までを一直線に進める。
なので、過激さのわりに話が散らからない。
全体として、かなりまとまりのいい作品でした。
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結末も予想どおりでした。
途中から、
「これは二人とも無事に再会して助かる話じゃないな」
とわかる。
ジュンジョーが感染することも読める。
カイティンが博士に抗体持ちだと判断されても、素直に救出されるとは思えない。
博士自身にも何かあるだろうし、ヘリコプターが来たからハッピーエンド、なんて作品ではない。
だからラストでジュンジョーが感染者としてカイティンへ歪んだ愛情を語り、カイティンも屋上で撃たれたと思われる結末は、意外ではありませんでした。
でも、これは良い意味で期待を裏切らない結末。
こういう作品で急に、
実はカイティンには抗体がありました。
無事に軍に保護されました。
彼女の血から治療薬が完成しました。
なんて希望を出されたら、そちらのほうが白けます。
ここまで徹底して人間の醜さと社会の崩壊を描いたなら、最後まで救わない。
安定の全滅。
王道の破滅。
作品の方向性を最後まで変えなかった、正しい着地だったと思います。
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ウォン博士も面白い配置でした。
ウイルスの危険性を最初から理解し、政府へ警告していた研究者。
普通なら、最後に主人公を助ける良識ある専門家の役です。
ところが実際には、治療法を探すためとはいえ新生児へウイルスを投与している。
さらに彼自身も感染しており、乳児を安楽死させることに快楽を感じていた。
ここで、
「感染したから悪人になった」
と単純には言い切れないところも嫌らしい。
感染前から、人類を救うという大義のためなら幼い命を実験材料にできる人物だった。
ウイルスはそこへ、新しい人格を与えたのではなく、元からあった傲慢さや残酷さをむき出しにしただけかもしれない。
感染者たちは別人になるのではない。
自分でも認めたくなかった欲望を、止められなくなる。
博士の存在で、その設定がさらに補強されていました。
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政府や市民の反応にも、感染症社会への皮肉が入っています。
専門家が危険性を訴える。
政府は選挙や社会不安を優先し、深刻さを小さく見せる。
市民も「大げさだ」「ただの風邪だ」と受け流す。
そして本当に危険な変異が起きたときには、もう手遅れ。
作品が制作された時期を考えれば、現実の感染症流行を連想するのは当然です。
ただ、政治批判や社会風刺を延々と説明する映画ではない。
最初に社会が危機を軽視したことだけを示し、その後は一気に地獄へ突っ込む。
説教臭くならず、パニックの背景として機能していました。
ここもバランスは悪くなかったです。 �
ウィキペディア
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ただし、一点だけ、観終わったあとまで引っかかりました。
カイティンが、他人のスマートフォンを使ってジュンジョーとLINEのようなアプリで連絡を取った場面。
あれ、どうやったの?
劇中では、カイティンがジュンジョーの電話番号を覚えていないという話も出ていたはず。
だったら通常の電話はできない。
自分のスマートフォンでもないから、自分のLINEアカウントへ普通に入れるわけでもない。
アカウントを移行するには認証が必要だし、あの非常事態の中で他人の端末へ即座にログインできるほど単純ではない。
残る可能性は、ジュンジョーのLINE IDを覚えていて、借りたスマートフォンの持ち主のアカウントから検索した、くらい。
でも、それなら一言、
「彼のIDは覚えてる」
と入れればいいだけです。
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あるいは、借りたスマートフォンの持ち主がジュンジョーと偶然つながっていた?
共通の知人を経由した?
別のSNSで検索した?
どれも作中では示されない。
LINEに、
「他人のスマートフォンを借りれば、電話番号もわからない相手へ簡単に連絡できる」
なんて都合のいい機能があるわけではない。
なので、あの場面だけはかなりフィクション寄りです。
細かいことに見えるけれど、あの連絡は物語上かなり重要。
あれによって、
二人が互いの生存を確認する。
ジュンジョーが病院を目指す。
カイティンが彼を待つ。
終盤の再会へつながる。
つまり、ストーリーの方向を決める重要な接続点なんです。
だからこそ、そこはもう少し現実的に詰めてほしかった。
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たとえば、
カイティンがジュンジョーのIDを暗記している。
自分のメールアカウントへブラウザからログインし、そこから連絡する。
共通の知人へ連絡して、ジュンジョーへ伝えてもらう。
ジュンジョーがSNSへ自分の居場所を書き込んでいて、それを見つける。
ほんの数秒、説明を足せば済みます。
全体のストーリーがよくまとまっているだけに、そこだけ脚本の都合が見えてしまった。
観ている最中だけでなく、観終わったあとも、
「あの連絡、どうやったんだ?」
と残ってしまったんですよね。
良い作品ほど、こういう小さな穴が逆に目立つ。
つまらない映画なら、そのまま流していたと思います。
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とはいえ、作品全体を崩すほどの問題ではありません。
連絡手段の一点だけは詰めが甘かった。
でも、それ以外はかなり安定していました。
知性を持つ感染者という設定を、単なる説明で終わらせない。
感染者は会話し、追跡し、騙し、相手の感情を利用する。
グロ描写も題材に負けず徹底する。
恋人同士の再会という単純な目的を最後まで軸にする。
そして最後は、感染した恋人との再会と、救助の失敗でしっかり破滅させる。
設定、描写、ストーリー、結末が同じ方向を向いていました。
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この作品の感染者は、怪物になったというより、
人間の中に元からいた怪物だけが表へ出た存在
なのだと思います。
だから笑う。
だから喋る。
だから相手が痛がる様子を見て楽しむ。
完全に理性を失ったなら、残酷さにも限度があります。
でも理性を残したまま倫理だけ失った人間は、いくらでも残酷になれる。
相手の恐怖を理解し、その恐怖を最大化する方法を選べるからです。
感染者の目から涙が流れているのも印象的。
悲しんでいるように見える。
でも口元は笑っている。
人間だった部分がどこかに残り、やっていることの恐ろしさもわかっている。
それでも、快楽を止められない。
だから『THE SADNESS』なんでしょうね。
単に被害者が悲しいのではない。
感染者自身も、人間だった記憶や感情を残したまま、最低の欲望へ支配されている。
ゾンビより、よほど悲惨です。
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総合すると、
「ゾンビ映画の外見を使いながら、知性を残した感染者によって別物へ仕上げた、過激でまとまりのいい感染パニックホラー」
という感想です。
グロは強い。
暴力もかなり下劣。
人を選ぶ作品ではあります。
でも、ただ過激な映像を並べただけではない。
感染者が知性を保っているという一点から、通常のゾンビとは違う恐怖と展開をきちんと作っている。
物語も恋人同士の再会という軸で整理され、結末も予想どおりながら作品にふさわしい。
良い意味で期待を裏切らない、安定の破滅エンドでした。
唯一、カイティンが他人のスマートフォンからジュンジョーへ連絡できた仕組みだけは、どう考えても説明不足。
しかも終盤へつなぐ重要な場面なので、そこだけは本当にもったいない。
あと一言あれば済んだのに。
そこだけ詰めが甘かった。
とはいえ、それを差し引いても良い作品。
知性を失った死者ではなく、知性を残したまま人間性だけを失う。
その恐ろしさを、徹底したゴア描写と一緒に最後まで押し切った、なかなか強烈な一本でした。
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