『ゴーストランドの惨劇』感想
『ゴーストランドの惨劇』の個人的な考察・感想
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①『ゴーストランドの惨劇』(2018年・カナダ/フランス・監督:パスカル・ロジェ)
② あらすじ(起承転結・ネタバレあり)
起
母ポリーンと姉妹のベス、ヴェラは、亡くなった親族から譲り受けた人里離れた古い屋敷へ引っ越すことになる。
ホラー作家を夢見る内向的な妹ベスは、H・P・ラヴクラフトを敬愛し、いつか自分も怪奇小説を書くことを夢見ていた。一方、姉のヴェラは現実的で気が強く、空想に逃げ込みがちなベスをからかっていた。
しかし、新居へ到着したその夜、屋敷に異様な二人組の暴漢が侵入する。母ポリーンは娘たちを守るため必死に抵抗し、凄惨な襲撃の末、どうにか暴漢を倒したように見えた。
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承
それから十数年後。
ベスは夢をかなえ、有名なホラー作家エリザベス・ケラーとして成功していた。結婚して息子にも恵まれ、自らの体験を題材にした小説『ゴーストランドの惨劇』もベストセラーになっている。
しかし、姉ヴェラは事件の傷から立ち直れず、母とともにあの屋敷で暮らし続けていた。精神的に不安定なヴェラから助けを求める電話を受けたベスは、長年遠ざかっていた実家へ戻る。
屋敷ではヴェラが何かに襲われていると訴え、ベスの周囲でも不可解な現象が相次ぐ。ベスは、過去の暴漢たちが亡霊となって屋敷に残っているのではないかと疑い始める。
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転
しかし、成功した作家としての人生も、夫も息子も、事件から十数年が経過したという時間さえも、すべてベスが作り上げた現実逃避の夢想だった。
本当のベスとヴェラは、襲撃された夜からほとんど時間が経っておらず、二人の暴漢に監禁されたままだった。母ポリーンも最初の襲撃で殺されていた。
耐え難い暴力から心を守るため、ベスは自分が無事に成長し、作家として成功した未来を頭の中に作り上げ、その世界へ逃げ込んでいたのである。
現実へ戻ったベスは、ヴェラとともに屋敷から脱出する。一度は警察官に保護されるものの、追ってきた暴漢たちによって警察官は殺され、姉妹は再び屋敷へ連れ戻されてしまう。
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結
絶望したベスは、再び成功した作家としての夢想へ逃げ込む。そこで敬愛するラヴクラフトと出会い、物語を書き続けるよう背中を押される。
しかし、ヴェラの必死の呼びかけがベスを現実へつなぎ止める。
ベスは夢想の中に閉じこもるのではなく、自分を守るために作り上げた強い作家像を現実の自分へ持ち帰る。そしてヴェラと力を合わせ、暴漢たちに必死の反撃を試みる。
駆けつけた警察によって二人の暴漢は倒され、姉妹はついに救出される。
救急車へ運ばれるベスは、屋敷の窓辺に母の姿を見る。そして自分は物語を書くのだと語る。
夢想の中に登場した『ゴーストランドの惨劇』を、ベスがその後本当に執筆したのかは明言されない。それでも、あの惨劇を生き延びたベスが、いつか自分の恐怖を物語へ変え、作家エリザベス・ケラーとして立ち上がっていく未来を感じさせながら、物語は幕を閉じる。
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③ 考察・感想・まとめ
この作品で一番面白かったのは、ベスの現実逃避の扱い。
序盤のベスはメンタルが弱く、現実よりも物語の世界へ逃げ込みやすい少女として描かれている。姉のヴェラから見れば、それは頼りなさであり、臆病さでもある。
実際、暴漢たちに監禁されたベスは、耐え難い現実から完全に目をそらし、自分が成長して有名作家になった人生を丸ごと作り上げてしまう。
表面的には、かなり危険な現実逃避です。
しかし、この映画はそこで「現実逃避は悪いことです」と単純には終わらせない。
ベスにとってあの夢想世界は、精神が完全に破壊されないための避難所だった。耐えられない現実から一時的に離れ、自分の心を保存するために作った仮設の世界だったんですね。
逃避することは、必ずしもネガティブとは限らない。
現実と向き合う力がないとき、いったん心を安全な場所へ逃がすことが必要な場合もある。その逃げ込んだ場所で時間を稼ぎ、自分を守り、再び立ち上がる力を作ることもある。
重要なのは、逃げたかどうかではなく、最後に戻ってこられるかどうか。
ベスは夢想の中に永遠に閉じこもることもできた。夫も息子もいて、作家として成功し、自分の体験を小説として昇華した理想的な人生。現実より、よほど居心地がいい。
それでも、ベスはヴェラの呼びかけを受けて現実へ戻る。
しかも、ただ元の弱い少女に戻ったわけではない。夢想の中で作り上げた「作家エリザベス・ケラー」という強い自分を、現実の自分へ持ち帰っている。
現実逃避だったはずの時間の中で、ベスは成長していた。
その成長が夢想を打ち破る精神力となり、最終的には暴漢たちへの反撃につながった。
だからこの映画は、私には、
「逃避を経由して現実へ帰還する物語」
に見えました。
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ベスがホラー作家を目指しているのは、単なるキャラクター設定ではない。
この作品自体には、それほど強いラヴクラフト作品感はありません。未知の宇宙的恐怖や、人間には理解不能な存在を描いた話でもない。
ラヴクラフトは、この映画の世界観の直接的なモデルというより、
「恐怖や狂気を物語へ変えられる作家」
の象徴として置かれているのだと思います。
ベスは、現実をそのまま受け止めることが苦手な少女です。その代わり、自分の中で物語を作ることができる。
その性質が、最初は逃避として現れた。
けれど最後には、惨劇をただの傷として抱えるのではなく、いつか語れるもの、書けるものへ変える可能性につながっていく。
冒頭に登場するエリザベス・ケラーの言葉も、現実に存在する作家からの引用ではありません。エリザベス・ケラーとは、ベス自身の本名、あるいは将来の作家名として示される架空の人物です。
つまり映画は最初から、いつかベスが作家エリザベス・ケラーになる未来を、先回りして置いている。
夢想の中では、ベスはすでに『ゴーストランドの惨劇』を書き上げています。
ただし、その成功した作家人生は現実ではなかった。したがって、事件後に本当に同名の小説を書いたかどうかまでは確定していません。
それでも、夢想の中で尊敬するラヴクラフトから「書け」と背中を押され、救出後にも自分は物語を書くのだと語る。
だから、おそらくベスはその後、あの惨劇を作品にするのでしょう。
あの体験を消すことはできない。
しかし、自分を壊すだけの恐怖を、自分の言葉で語り直すことはできる。
ベスが作家として描かれたのは、恐怖から逃げるためだけではなく、最後には恐怖を自分の物語として取り返す人物だからだと思います。
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ベスが「物語」を担当する人物なら、ヴェラは「現実」を担当する人物です。
ヴェラはベスよりも長く、直接的に暴力の現実へつなぎ止められている。ベスのように完全な夢想世界へ逃げ込むことができず、傷つきながら現実の屋敷に残り続けている。
だからベスを夢想から呼び戻すのもヴェラです。
ヴェラの、
「戻ってきて」
「私を一人にしないで」
という呼びかけがなければ、ベスは作家として成功した幸福な人生から帰ってこなかったかもしれない。
ヴェラは、ベスにとって現実へのアンカーなんですね。
同時にヴェラは、ベスが物語化しようとしている痛みの実体でもある。
ベス一人だけなら、現実を自分に都合のいい物語へ作り替え、その中で完結することもできた。しかし、現実にはヴェラが苦しんでいる。
ヴェラがいる限り、ベスは完全には逃げ切れない。
だからベスの帰還は、単に正気へ戻ることではない。
「ヴェラのいる現実を引き受けること」
なんです。
姉妹は性格も、恐怖への対処法も違う。
ヴェラは身体で現実に耐え、ベスは物語によって精神を守る。
どちらか一人では生き延びられなかった。
ヴェラがベスを現実へ引き戻し、ベスが夢想の中で得た力を使って反撃する。この姉妹の役割分担が、作品の中心になっていると思います。
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母ポリーンは、襲撃の最初に娘たちを守ろうとした人物です。
現実では暴漢たちに殺されてしまったけれど、ベスの夢想世界では生き残り、傷ついたヴェラとともに屋敷で暮らしています。
つまりベスは、母の死も受け入れられていなかった。
自分を守ってくれた母が生きていて、姉を見守っている世界を作らなければ、ベスの精神は保てなかったのでしょう。
母は現実では失われている。
それでも、ベスの中では最後まで保護者として存在し続ける。
ラストで救急車へ運ばれるベスが窓辺に母の姿を見る場面も、私は「まだ幻覚から戻れていない」とは思いませんでした。
ベスは本当に現実へ戻り、救出された。
あの母の姿は、現実を否定するための幻覚ではなく、今度こそ母の死を受け入れ、その存在を自分の中へ納めるための別れに近いのではないかと思います。
母は娘たちを完全には守り切れなかった。
けれど最初に命をかけて戦い、最後にはベスの心の中から娘たちの帰還を見届けた。
そんな母として残ったのではないでしょうか。
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姉妹を襲った二人組には、詳細な来歴や思想がほとんど与えられていません。
現実に存在する人間ではあるけれど、映画の中では『悪魔のいけにえ』や『クライモリ』に出てくる人間怪物のような位置づけです。
ただし、あちらの作品のように、土地や一族の歴史を掘り下げる方向ではない。
本作の暴漢たちは、ベスの視点ではおとぎ話の魔女と鬼のように見える。
屋敷に侵入し、母を殺し、姉妹を人形のように扱う。
彼らは精密な犯罪者として描かれているのではなく、
「姉妹の生活と心を一夜で破壊した暴力そのもの」
として置かれているのだと思います。
だから背景設定が薄いこと自体は、それほど大きな欠点には感じませんでした。
この映画の中心は、暴漢がなぜそのような人間になったのかではない。
暴力を受けたベスとヴェラが、どうやって自分を保ち、現実へ戻り、生き延びるかという話だからです。
暴漢たちを具体的な人間として掘り下げすぎると、かえって焦点が姉妹から外れてしまう。
『悪魔のいけにえ』や『クライモリ』的な人間怪物の記号を利用しつつ、その怪物を倒す話ではなく、被害者の内面へ重点を置いたところが本作の特徴だと思います。
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この作品は夢想と現実を大きく反転させるので、ラストまで何かの夢なのではないかと疑う見方もできます。
でも私は、ベスは本当に現実へ戻り、姉妹は本当に救出されたと解釈しました。
物語の重要な点は、現実と夢想を永遠に判別できなくすることではありません。
ベスが自分で夢想を破り、現実を選び直すことです。
ここまでの成長を描いておいて、最後もまだすべて夢でした、では、ベスが現実へ帰還した意味が消えてしまう。
母の姿が見えるのも、現実逃避への逆戻りではなく、トラウマの中に残った母の記憶。
作家としての未来も、確定した予知ではなく、生き延びたベスがこれから選び取る可能性。
だからラストは救いのある終わりだと思います。
もちろん、姉妹が受けた傷は消えない。
救出されたから翌日から元通りになるような話ではありません。
それでも、ベスは現実に戻り、ヴェラと一緒に生きる側を選んだ。
完全回復ではないけれど、明確な帰還です。
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『ゴーストランドの惨劇』は、凄惨な監禁事件を描いた作品だけれど、単なる胸糞系の監禁ホラーではありませんでした。
中心にあるのは、
「人間の心は、耐えられない現実を前にしたとき、どうやって自分を守るのか」
という話。
ベスは物語へ逃げた。
それは弱さでもあるけれど、同時に彼女を壊さないための防衛でもあった。
そして、逃避の中で作り上げた強い自分を現実へ持ち帰り、ヴェラの呼びかけに応えて戦う。
だからこの作品では、現実逃避は単なる敗北ではない。
逃げる時間が必要なこともある。
逃げ込んだ場所で人が成長することもある。
ただし、最後には戻らなければならない。
ベスにとってヴェラは、戻るべき現実そのものだった。
そして作家という設定は、自分を壊した恐怖を、自分の言葉で語り直す未来につながっている。
「ラヴクラフトの映画ではなく、ラヴクラフトに憧れた少女が、自分自身の恐怖を自分の物語へ変えていく映画。」
そう考えると、かなり綺麗にまとまります。
凄惨で容赦のない作品だけれど、最後に残るのは絶望だけではない。
傷を抱えたままでも現実へ帰ること。
誰かの呼びかけによって、自分を取り戻すこと。
そして、恐怖を物語へ変えて生きていくこと。
『ゴーストランドの惨劇』は、逃避の物語であると同時に、逃避を経て現実へ帰還する少女の成長物語だった。
私はそんな作品として受け取りました。
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